近ごろよく 「未病」(みびょう)ということばを聞くようになりました。文字どおりに受けとれば
「未だ病いでない」 となりますが、どうすれば未病が治るのか探ってみましょう。
未病とは?
中国でもっとも古い医学書である 『黄帝内経』(こうていだいけい)。
これに基づいて書かれた古い鍼灸書に 『難経』(なんぎょう)という本があり、
その七十七番目の問答には次のように書かれています。
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| 彦根城で
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上工は未病を治す。中工は已病を治す。
(じょうこうは みびょうを なおす。ちゅうこうは いびょうを なおす。)
仮に注釈してみましょう。漢和辞典を見ると 「工」 は 「職人」 とか 「たくみ」 の意味です。
ここでは人を癒す職人。ですから、「上工」 はじょうずな医家や療術家のことになりますね。
「未病」 は、まだ病いにいたっていない状態です。ですから第一文は、上手な医家や療術家は、
まだ病いになるまでに到っていない人を癒す という意味になります。
そうすると、第二文の意味もよくわかるでしょう。「已」(い)という字は 「すでに」 という意味ですから、
普通の医家や療術家は、すでに病いになってしまった人を治す。
こういう意味です。
未病の人が整体に来る
「日本未病システム学会」 では 「自覚症状はないが
検査では異常がある状態」 と 「自覚症状はあるが検査では異常がない状態」 の二つの状態を
「未病」 と定義しています。
整体を受けに訪れる人の状態を見ていると、未病の状態で来る人が多い。病院へ行ったけれど、
レントゲンを見てどこも悪くないと言われた、とか、病院へいっても、
こんな症状では相手にしてもらえない、とか、そういう人がけっこう来ます。
定期健診で何か言われなかったか、と尋ねても、いいえ、という答えが返ってくることが多い。
してみると、整体を受けに来られる方々は未病の状態にある人が多いことになります。
それも主に後者の、 「自覚症状はあるが検査では異常がない状態」 の人が多いように思います。
はっきりどこが悪いというのではなく、なんだか腰がだるい、背中が痛い、肩がこる、
からだが曲がっているような気がする、といった訴えをもった人びとですね。
こんな具合ですから整体は好む・好まないにかかわらず、
未病に対応する方法にならないわけには行きません。私なども、未病に対応して、
まだ病いにいたっていないが、何だか調子が悪いという状態の人を健康な状態に引き戻すために、
毎日の努力を重ねていることになります。
整体は未病を扱う
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| 奈良公園で
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いま 「未病」 が注目され、病いを治すことより未病をなくすこと、
つまり病いに陥るまえに病いを防ぐことに人びとの関心が移りつつある。これは好ましいことですね。
でも、やって来る人たちを見ていると、やはり現代医学は圧倒的に対症療法だ、
と思わずにいられない。現代医学はそれなりに効果を挙げていますし、
特に診断で大きな力をもっているのに間違いありませんが、
対症療法はあくまで症状に対応するものですから、未病の対応には遠いところがあります。
「加齢現象ですから」、「自律神経の失調でしょうね」、というような言葉で放置されている人が
どれほどいることか。顎の異常を訴えて来られた人から、
顎が痛くて口があけられない人を心療内科に回してしまう医師がいたと聞いて、
あいた口がふさがりませんでした。「口が開かないのは気持ちの問題ですよ」 といいたいのでしょうか。
これでは未病を防ぐことになりません。
いつの間にか症状が消えていた
整体や鍼灸などの療法には対症療法の側面もありますが、
病いの原因になっている身体の歪みを取りのぞいていく方法ですから、
症状を消すことよりも、全身のバランスをとることに関心があります。この身体はバランスを崩しているな、
と思えば、それを回復させるにはどうすればいいかに心を砕きます。
その結果、来られた人のバランスをとっている間に、予期しなかった効果が出ていることが多い。
初めての時は、いろいろと症状を訴えて来られます。ところが二度、三度と整体を続けていると、
そうした症状がいつのまにか消えていることがよくある。期せずして未病を防ぐ結果になっている
わけです。
先日やって来た青年は医学部を志望して勉強中です。彼は勉強のかたわら、
色々な療法に関心をもって首を突っ込んでいるのだ、と話してくれました。
整体を受けたのは初めてだそうで、最後(三度目)に来た時、
「からだって変わるものですね」 と感想を聞かせてくれました。
随分いろんな症状がいつのまにか消え去っていたからです。その通りです。からだは変わるものです。
こんな青年が医師になってくれたらいいなあ、きっと医学を変えていく原動力になってくれるだろうなあ、
と思わず期待感が膨らみました。