セレンディピティ

偶然の幸運のように見えるチャンスで、失敗が成功の鍵になることがあります。

nanten
南天

セレンディピティという言葉

かなり混雑した電車の中でのことです。若い女性二人が話しています。聞くともなく、その内容を聞いていたら、その中に「セレンディピティ」という単語が出てきて、瞬時に私は耳をそばだてました。この言葉を聞いたことがあるのに、意味が分からなかったからです。「セレンディピティ」について聞いたことがあるのになあ。ちかごろ流行のカタカナ言葉なんだろうか?

ポケットにもっている携帯の英和辞典で検索しても、それらしい単語は出てきません。頭のなかで「セレンディピティ」という単語がグルグル回りしているのに、意味を思い出すことができません。けっきょく手帳に書いておき、帰宅してから調べました。ウィキペディアに出てきました。「serendipity」でした。

どういう意味であるかは、読者諸氏がそれぞれ調べてくださるでしょうから、ここには書きませんが、これに当たる出来事が昨日ありましたので、その話を書いておきます。

cacao
カカオの実

尾骨の捻れが・・・

昨日の「からだほぐし教室」でのことです。腰椎5番の調整法や仙腸関節の調整法について私が説明していたと思ってください。昨日も、ご自分でそうおっしゃっていた方がいらっしゃいましたが、「からだほぐし教室」という名前から想像するのは、何か体操をする教室でしょう。何かよい体操を学びたいと思って来られる方が多いのですけれど、内容は違います。実質は操法の実験工房という趣の「教室」です。だから操法の練習などをたびたびしています。時に「活元」をやったり「愉気」をやったりしていて、道場まがいの時もあります。

さて、背中の左右の厚みが違い床からの高さを比べると左が高い人にモデルになってもらって打ち込み法をやってみたところ、いまいち高低差が解消していません。こういう時の打ち込みには威力があって、即座に変化が現れるものですが、さっきより改善したものの、まだ少し左が高いままです。時々このような人がいるので、これは個性だろうと考えていたのですが、解決法は以前から謎のままでした。

このとき、背中の高低差を見ながらふと浮かんだのは、この高低差は尾骨の歪みで生じているのではないか、という仮説でした。突然なぜそんなことを思ったのかうまく説明できませんが、尾骨周辺の説明を次々していたので、連想が起きたのかもしれません。

ともかく、そこで「さて尾骨を調整したらどうなるでしょう」などと言って尾骨の調整にかかったと思います。ところが終わってみると背中の高低差がものの見事に揃ってしまいました。これこそ「セレンディピティ」でしょう。ここまで効果があるとは、その瞬間まで考えていなかったんですから。

aristolochia
アリストロキア

教えることは教わること

とはいえ、こうした瞬間にセレンディピティの解説をしようなどという気になりませんでした。尾骨の調整をするとどれだけ効果があるか、あらかじめ予定された行動だという顔をして話を続けていきました。だけど、ココロの中は飛び上がるほと驚いていたんです。

人に何かを伝えるつもりが、自分自身が学ぶことがしばしばあるものです。セミナーでしゃべっている時に見つけた新しい操法が色々あります。どれがそうだったかは覚えていませんけれど、セミナーや講座の時に見つける操法がけっこうあったと漠然と覚えています。人に何かを教えることなど決してできない。かえって人から教わるばかりです。「教える」ことは「教わる」ことなり、というのはまことに正しい。操法を受けに来た人たちから教わり、講習を受けに来た人たちから教えられています。

集中講座の参加者に「尾骨の操法は必ずやる」とおっしゃっていた人がありました。そのことが頭に残っていたのかもしれません。ちょっとした細かいことが、後々につながっていることがあるものです。ならば、尾骨の調整法について書いておかなければなりませんが、長くなるので、それについては次回に書くことにします。

( 2014. 05 初出 )