あなたの力
色々なお尋ねのメールをいただきます。その中に時々「治るでしょうか?」という意味のお便りがあります。これにどうお答えしたらいいか、いつも悩みます。希望を失わせるようなことは言えないし、といって、大風呂敷を広げるわけにも行きません。
「治るでしょうか?」
「治るでしょうか?」とあなたは聞いて来られましたね。私は、こうお答えしました。「元の身体に戻すのは、あなたの身体の復元力ですから、私には可能かどうか本当のところは分かりません。やってみないと何事も分からないんです。言い換えれば、あなたが何を望んでいるかが、あなたの身体の未来を決めると思います」。
分かるのは道筋だけ
別段、私が治すわけではないからです。私には、あなたの身体をいじって治すような力がありません。私はただ、あなたの身体のあちこちを少し触ってみたり、考えてみたりするだけで、あとはあなたの身体が元々持っている力で自然に変化していくわけです。なぜ変化するのかなど、私には何もわかりません。ただ私に少しだけ分かっているのは、こうすればこうなることが多い、という道筋だけです。
でも、それもやって見なければ分かりません。私は、こうすればこうなるだろうと予想してやってみます。予想通りになるとは限りません。予想が裏切られて、全然変化しないことも珍しくありませんし、一旦は変化したように見えても、またズルズルと元に戻ってしまうこともあります。人間の心と身体は無限に複雑なもので、何でも私の思い通りになるほど単純なものではありません。
私は、別の道筋を考えます。ではこうしてみよう、と別のやり方をしてみる。これで変化が現れることもありますが、変化しない場合もあります。先日、ぎっくり腰で来られた方は、かなり楽になったのは確かだったのですが、腰の1点の痛みがどうしても取れませんでした。なぜその痛みが取れないのか、私には最後まで分かりませんでした。
つまり変化するのは、あなたの身体と心であって、私に変化させる力があるのではありません。どこまで行っても私に分かっているのは、変化を媒介できるかもしれないということだけです。
『病気の治し方』
先日のこと、奈良市内の古書店で沖正弘『ヨガによる病気の治し方』という古い本を見つけました。奥付を見ると「1965年」とあります。20代から30代にかけての一時期、私はこの人の本が気に入って、漁るように読んだことがありました。今はその大部分は誰かに差し上げてしまいましたので、もうほとんど残っていません。懐かしくて早速その一本を買い求めて、いま読んでいるところです。そうそう、沖さんはこういうものの言い方をする人だった、と思い出しながら心の中で何度もうなずきつつ読んでいます。例えば ――
多くの人は、なおしてもらうつもりになっているらしいが、病気は自業自得の現れなのであるから、自分でなおす努力をする以外になおる方法は与えられないのである。
私が「あなたは、そういう病気になるのにふさわしい生活と人柄をもっているのだ。そしてその病気になりうる練習と努力をつづけたのだ」と説明すると、ちょっと不審で不快そうな顔をする人が多いが、これは事実で、自分の人柄と生活を健康的に改めないかぎり病気はなおらないのである。
厳しい見方ですねえ。でも「沖ヨガ」の名で呼ばれた名人がこういうのです。私にできることは、ただあなたが治っていく道筋を、ちょっとばかりお手伝いすることだけです。
(2008. 10 初出)