観察の要点

整体と取り組んでいる人は常に「観察」が難しいと思っているに違いありません。確かにそうですが、いくつかのポイントがないわけではありません。

allium
アリウム・ギガンティウム

見ることの what と how

集中講座募集の記事の中で「観察」に重点をおいて中級講座で取り上げます、と書きました。この「観察」は言葉でいうほど簡単ではありません。ここに整体の神髄があるといってもいいほどの重要項目だからです。ですから観察について少し書いておきたいと思います。

このサイトでも観察の種々相について色々と書いて来ましたが、観察についてまとめて書いたことがありません。「観察」という言葉は漢和辞典でいうと「観」も「察」も「みる」の項目に含まれています。いずれの字も「みる」という意味です。一口に「みる」と言っても、どこをどのように見るのか、それが問題でしょう。昆虫や草花の観察であれば対象が明らかですが、人体の観察となると、どこをどう見るのか分かっているようで、まとめるとなると難しいのが現実です。

でも昆虫や草花の場合であっても、ただ漫然と見ていても何かが分かるわけではありません。花の専門家は一般人とまったく同じように見ていても、おしべの形が違うとか、葉の着き方が違うとか、普通の人には想像できそうにないような細かな違いを見分けて、これはなになにだ、とか、この花には奇形が見られるとか、あれは新種であるとか、判断するんですね。

とはいえ、ああ、この花は綺麗だなあとか、この虫はカッコいいなあとか、感嘆の気持ちを持つのは自然なことで、この人の身体は均整がとれているなとか、妙な格好だなとか、全体のすがたを見て感じるのは自然なことです。

ですが、整体に取り組む際に、ただぼんやりと人体の全体を眺めまわしても、どうにもなりません。観察の対象でいえば、どこか見るポイントがあるはずです。また、観察の主体の側から言わせてもらえば、どのように見るのか、見方があるはずです。英語でいえば what と how とがある。

rose
バラ

何をどのように

何事においても技量のすぐれた人の手は何かが違うと言われます。何が違うのか。もちろん手から何か摩訶不思議なエネルギーが出ているというような曖昧な話しではありません。手に何か違いがあるわけではなく、見るという行為に何か違いがあるはずです。まったくの素人と名人とが人体を見る時、「見えている」ものは同じだが「見ている」ものが違う。

ですから人体の「何を」、「どのように」見るか。ここのところがしっかり身についていないと、ただ操法を学んだだけではうまく行かないのは当然だということになります。

そんなわけで「観察」法が分からないと嘆く人が多いのですが、それは煎じ詰めてみると何をどう見るかというポイントをつかんでいないことになります。人体のどこを見れば「観察」が的確に行われたことになるのでしょうか。

この問いは言い換えると「人体の歪みの原因はどこにあるか」という問いだと言ってもいいでしょう。整体は歪みのない状態にしようと努力しているわけですから。もちろん歪みの原因は様々です。交通事故で怪我をした人と、事務所でパソコンを打っている人とでは、おのずから歪み方が違ってきます。

agapanthus
アガパンサス

まずは背中を見る

歪みの原因を突き止めることが必要だといっても、どんな風に歪んでいるかを知らなければ始まりません。そのためにまず背中を見る。これはある意味で定石でしょう。背中を見ると背骨の歪みだとか、骨盤の歪みだとか、肩甲骨の歪みだとか、いろんな歪みが背中に集中して表れていることが分かりますから。

背骨を見ると、腰のあたりでやや左に寄り、背中の上の方でやや右に寄っている人の多いことに気づきます。もちろんこれは一般に多く見られる傾向で、この逆の人もいますし、複雑な形になってしまっている人もいます。一般的な傾向の人では、背中の上の方で右へ背骨が寄っているのは右腕から引っ張られているからです。また背中の下の方で背骨が左へ寄っているのは、左脚から引っ張られているからです。

とすると取り敢えず一般的にいえば、腕と脚とを見れば身体が歪む原因の分かることが多い、という結論になります。これだけの結論では、何だそんな当たり前のことを、と言う人もいるでしょう。でも真理は単純なところにあるものです。当たり前のようでいて、実はここに味わい深い意味合いがあると私は考えています。

(2013. 01 初出、2013. 06 加筆)