丘を歩く (1)
奈良の西にある「矢田丘陵」を歩いて来ました。その清々しさを皆さんと分かち合いたいと思います。
木々が深く充実感たっぷり
どこにあるかを知らない方のために、まずはお話ししておきましょう。北から南に細長く8キロばかり続く丘は奈良盆地の西にあたります。北は生駒(いこま)市の近鉄線の辺りまで、南は斑鳩(いかるが)町にある法隆寺の裏山まで続いています。
もみじで名を知られた龍田(たつた)川が流れる平群(へぐり)谷を挟んで、西に生駒の山々を眺める丘の高さは、もっとも高いところでも340メートルあまり。低い丘といっていいでしょう。脚に力のない方でも登りやすいのではないでしょうか。しかも木々が深くて、山を歩いたという感じをたっぷり味わえます。この前は80歳近いと思われるお元気そうな方と、山道で「こんにちわ」と声を交わし、立ち話しをしました。
歩いたことのない道を次々と歩いてみるのが私の楽しみです。2008年秋に、2万5千分の一の地図に載っている道をほとんど歩き尽くしました。地図にない道まで歩きましたから、もう新しいところがあまり残っていません。逆に、地図には載っているのに道が見つからないところも幾つかありました。中宮寺や法起寺もある斑鳩町から登る道がわずかに残っていますので、今年はここを歩いてみたい。歩くほどに元気がもらえるからです。
先日、山好きのKさんが来られました。ありきたりの問いながら「なぜ山に登るのか答えはありますか」と尋ねると、「数十年、その問いを心の中で繰り返してますが、まだ答えがありません。だけど、しばらく行かないと登りたくなりますね」という答えが彼から返ってきました。
はい、よく分かります。まだ1月の今は寒かろうと、しばらく登るのを避けていたのですけれど、ここしばらく暖かい晴れの日が続いていたので、私も登りたくなってきました。Kさんは八ヶ岳のようなところへ行かれるので、私のように丘をうろついているのとは格が違います。でもKさんによると、里山の方がかえって難しいことがあるそうです。八ヶ岳のような山は地図がしっかりしていて、おかしな道などはない、その辺の里山の地図はあやしいことが多い、というのがその理由の一つです。
「魔法にかけられた湖」
では出かけましょう。JR大和路線の法隆寺駅から斑鳩の町なかを辿って、法隆寺の西門の外がわを通る山道に入ります。第二次大戦のとき京都・奈良の遺産を守るべく尽力したといわれるアメリカの美術史学者、ラングドン・ウォーナー(1881-1955)の墓がありました。この辺りは、法隆寺の土塀だけでなく鳥の声も、いにしえのままなのではないかと思われるほど新しいものがありません。この姿で千年を超える月日を経てきたのか、と考えると趣きが尽きません。
思い起こせば、奈良でも今はこういう場所が珍しくなりました。奈良市の佐紀町に古墳の集まっている辺りが私のお気に入りで、古代の雰囲気の感じられるところが辛うじて残っていますけれど、それさえ今では消えかかっています。この法隆寺横の静かな場所をウォーナーさんのおつれあいが墓として望んだそうですが、目が高いというべきでしょう。
この先、ずっとクルマが通れるほどの道が続いています。畑が続いていたり、草刈をしている男の人に出会ったりしつつ、少し進むと「通行止め」の板がかかっています。クルマが通れないのだろうと考えて、ずっと進んで行きますと、ダムのところで道がなくなってしまいました。残念です。地図には道を書いてあるのですけれど、草や笹が生い茂って跡形もなくなっています。やはり通行止めだったわけです。
もと来た道をとって返し、法隆寺の横から、さらに西の道に移ります。ところが、ここでは私の思いこみで別の道に入ってしまいました。その先はため池で、またも行き止まり。これだからその辺の山はかえって難しいのかもしれません。ああ、また戻るのか。少々げんなりです。どこかに横へ行く道はないかと見ていると、杉の林が続くところに山仕事の人が入る細々とした道が見つかりました。よし、ここから隣の道に入れるだろう。たとえ道が消えていても、もう一つ隣の道まで100メートルあまりですから、さしたることはあるまい。
ところがここに池を見つけました。巾数10メートルの小さな池が深い森の中に静まり返ってあるのですから、神さびた感じを受けます。ロシアの作曲家アナトーリ・リャードフ(1855-1914)に「魔法にかけられた湖」という曲があります。この曲の不思議な雰囲気を思い出し、何かここにも言い伝えがあっておかしくないな、とそんなことを考えて先へ進もうとすると、道がありません。地図によれば、この先に道があるはずだから、と草や笹を掻き分けて、がむしゃらに進むと、人ひとりが歩ける山道に出ました。これで目ざす白石畑まで行けます。
ガクを残す冬苺
私は思索家クリシュナムルティの書いたものが好きで、よく引き合いに出します。彼が瞑想を語ると「愛」という言葉が出てきます。例えば次のような具合。
「分かってみると瞑想とは、そこに愛があるということです。習慣づけられた瞑想システムや方法に従うことから愛が生まれるのではなく、思考から生まれるのでもありません。愛は完璧な沈黙があるところに生まれます。瞑想する人さえ消え去った完全な沈黙があるところにです」(『ヨーロッパ講演』)
お気づきのように、ここで「愛」と呼ばれているのは、日本語の「愛」とはかなり含みが違うように思えます。クリシュナムルティのいう「愛」とは何か。それを頭の中からひねり出すのではなく、山道を歩きながら感じてみたい。彼の日記などに山道を歩いている姿がたびたび出てくるからです。
法隆寺の数百メートル西から登り始めた私は、正しい道を進んでいることを地図で確かめました。間違いない道を辿っています。2月中ごろ、家を朝7時に出たのですから、気温はまだ低い。でも坂道を登っていくと、少し汗ばんでくるほどです。間違った道を、かなり歩きましたから、エンジンのかかったからだのぐあいも上々。鳥の声がすがすがしい。鴉の声さえ新しく聞こえます。
今朝は気温が低いものの、今年の冬は何がしか暖かに感じます。道の両がわにある木には緑のものも多く、冬の山道を歩いているという感じがありません。しかも足元にシダ類が茂っていますから、ますます緑が多い感じがします。正月に行ってきた西表島では、シダ類といっても巨大で、中には人の背をしのぐものさえあって驚きましたが、ここのシダは、それに比べればかわいいものです。
あちこちに赤い冬苺が見られます。実がなっているにしては少し赤すぎると思って眼を近づけてみると、実がすっかりなくなり萼(がく)だけが残っているのでした。緑の中にちらちらと赤が見えると、眼がどうしてもそちらに向かいます。昨秋に道端の冬苺をもぎ取って食べた橙色の甘ずっぱい味が忘れられません。
尾根に入ると道は平坦になって、高まっていた気分が静まり、遠くを見渡すゆとりが出てきます。はるか下に斑鳩町の街並みが見えるところがあります。山好きのKさんの「しばらく行かないと登りたくなりますね」という言葉を思い起こして、考えてみたりします。
愛と瞑想
なぜ私はここを歩いているのだろうか。何のために。―― こう自らに問うて出て来た答えは、いまここにあるすべてのものに「愛」を向けていられる、ということではないか。そう思い当たりました。まわりの木々もいい。葉の色もステキだ。空の青さも素晴らしい。足元のシダにも愛おしさを覚えます。道に散り敷いている枯葉も抱きしめたくなるほどです。山道を歩くクリシュナムルティが「愛」という言葉で言い表そうとしたことが分かります。
クリシュナムルティが「瞑想」とか「愛」とかの言葉で表そうとしたものが、今ここにすべてあるんじゃなかろうか。そう思ったんです。「瞑想」とか「愛」とかの言葉でなくてもかまいません。むしろいま確かに自分は、言葉がなくてもいいようになっている。彼は朝早く山道を歩きながら、そこに「絶対の愛」があると言います。ほかに言葉がないから「愛」という言葉を使っただけで、ほんとうは言葉がなくてよいことを言い表したかったのですから、言葉はどうだっていいんですね。
瞑想というと、難しい顔をして結跏趺坐を組み、黙ってひたすら坐り続けることをいいますが、クリシュナムルティのいう「瞑想」は、山道を歩いている時の、うっとりと対象と一つになったありさま、こんな状態を指しているのではないだろうか。丘を歩けばまったき幸せが得られる。もう言葉を失うほど気持ちがいい。だから丘に登るんだ。これがとりあえず出した私の答えです。
分かれ道があって、どうやらその先はちょっとした頂きになっているらしい。少し寄り道をしてみよう。ほんの数十メートルで送電鉄塔の立つ三角点に辿りつきました。草の上にごろっと寝てみます。電線の向こうを流れる雲が、いつもより少し近くにあるように感じられます。抜けるような素晴らしい青空。わずかの風も冷たくない。こんなにしみじみと雲を眺めたのは、いつだったろう。 → 丘を歩く(2)
( 2009. 03 初出 )