丘を歩く (2)

ふたたび奈良の西にある「矢田の丘」を歩いて来ました。そこに広がる不思議を皆さんと分かち合いたいと思います。

yata
矢田寺近くの道しるべ

見当たらない山道

2009年3月17日、朝8時、雲なし、風なし。きのうの黄砂がまだ残るのか、空の色は前の時ほどくっきりした青ではない。あまり寒くなく、春のけはい。

近鉄生駒線・平群駅で下車。駅から北東に向かう。かつて平群に住んでいたころ駅の東側は家の少ないところで、三里の名が示すとおり「里」の気が残っていた。植物図鑑を片手にあたりの草木の名を覚えて回ったことがあった。奇形のハコベを見つけたこともある。30年を経た今は、街(まち)と呼ぶのがふさわしくなってしまった。街の外れで小さな池の畔に出る。そこから奥の谷へ向かう小道は、ふた月ほど前に上から歩いて下って来たところだ。けさは別の道をとってみたい。

国土地理院二万五千分の一図「信貴山」によれば、谷を辿る道とは別に、南の尾根を辿る道があるので、こちらに進むことにする。ところが道は小さな墓場の横を通り、林の傍を平らなまま進む。これでは山に入らない。おかしいと思って地図を見ても、こんな道はなく、地図に書かれた尾根の道は、どこを探しても見当たらない。よくあることだ。細い山道の場所が違っているのは、珍しいことではない。国土地理院は、これくらいの違いは眼をつぶれ、というかもしれないが、山道を歩く身には大きな違いである。意見を募ることもできるだろう。ぜひ正しい地図を心がけてほしいものだ。

もう少し進んでダメなら引き返そうとしばらく行くと、山へ入って行く道が見つかる。でもこれは谷道で、地図の尾根道とは明らかに違う。里山の山道は谷道か尾根道が多い。谷道はすこし薄暗く湿ったところが多い。尾根道は明るく乾いている。ここは二つが並んでいるのだから、まあいいか、と思ってそのまま登る。

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枯れ葉が美しい

わずかに進んだだけで、あたりには山奥の趣きが漂う。きつい坂の上はため池になっていた。今ふうのダムではなく、土で固めた堤をもつ昔ふうのため池だ。小さなため池が三つ段になって続く。いちばん奥の池にいた水鳥たちが7~8羽、私の足音で激しい羽音をたてて飛び立ち、驚かされる。1羽だけ逃げる力がないのか、池の表てをばたばたとあちこちへ移動するばかり。そんなに元気がなさそうには見えないのに、他の鳥たちと違った動きをするのは何かわけがあるのか。

池から先は、どう探しても道がない。またしても変な道に来てしまったのだろうか。さきほど尾根へ向かう道らしきものがあったから、あそこを進んでみよう。そう考えて少し逆もどりする。初めの池のところまで戻る手もあるが、子どものころからの癖で戻りたいという気持ちが湧いてこない。禿山の六甲山のふもとに住んでいたため、道なき道を突き進んでも何とかなったからだ。そんな癖がついてしまっていて、いまもこの突き進む癖から抜けられない。

分かれ道らしきところに入る手前に、枯れ葉を押しのけるようにタチツボスミレが咲いている。枯葉に混じる紫が美しい。道らしきところに上がるといくつか木が倒れ、道をふさいでいる。人が切り倒したものの、そのままになっているように感じられる。いずれもあまり太くないクヌギの木。すべてクヌギとは面白いなあ、と思いながら、辺りを見回すと、周りの木の大半がクヌギのようだ。クヌギばかりの林は珍しい。

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クヌギの枯れ葉

里山の姿を残すクヌギ林

ここは昔の里山の姿をとどめているのだろう。そういえば、田舎の家で薪に使うクヌギを切り出して積んであるのを、どこかで見たことがあったな、と思い出す。里ちかくの雑木林は、今では下草や雑木が茂って、木の間を歩くのは容易ではないが、ここは疎らな林になっていて、昔の矢田山はどこでも歩けたという古老の言葉がなるほど、と頷(うなず)ける。

足元は、ほとんどがクヌギの枯れ葉だ。裏はやや白っぽいから、表か裏かがすぐに分かる。どちらかといえば、裏の方が多いように感じられる。葉は表の方が密だから、表側がわずかに重いとしてもおかしくない。表を下にして落ちるのが自然かもしれない。進化論のチャールズ・ダーウィンには『植物の運動力』という本がある。驚くほど詳しく彼は見つめていたらしい。枯れ葉が散るところをじっと見て、葉の表と裏のどちらが先に落ちやすいか、彼なら調べるかもしれない、などと考える。

クヌギ林を上に抜けると、地図にもある尾根道に出た。この道はどこから上がってくるのか。上り口が見つからなかったのだから、戻って確かめてみたい。道を下へ辿ってみることにする。行きついた先は、初めの池に流れる小川沿いに登る道だ。ただし分れ道は池のところではなく、ずっと谷の奥の方である。明らかに地図が誤っている。

谷道から道が分かれるところに石の道しるべがあって、「すぐ松尾」とある。横には「大正八年三月 施主 三里 森○○」。松尾寺、矢田寺など、矢田の丘では寺がいずれも道しるべの目じるしになっている。大正八年は1919年で、今を去ること90年前に当たる。田舎の人は「すぐそこですワ」などと「すぐ」という言葉をよく使うと言われるが、「すぐ松尾」は言いすぎじゃないのか。それとも、松尾の下に「道」の字が埋もれているのだろうか。

もと来た尾根道をとって返して、元のクヌギ林のところまで戻る。クヌギ林といえば、宮沢賢治の書いたものに確かクヌギ林のことが出てくるものがあったはずだが、と思っても何だったか思い出せない。そんなものはないのかもしれないが、あったような気がする。いま、賢治の心の風景の中を歩いているような気分だ。

「山を登る会」の小さな紙。会員が道に迷わないための印だろう。「山に登る会」ではなく「を」になっているのはなぜか、などと「哲学的」なことを考えてみる。いま歩いている山道は、相かわらず大半がクヌギの枯れ葉で埋まっていて、ふかふかする。足にやさしい。ちぎられたソヨゴの枝が青々としたまま落ちていて、近ごろ誰かが歩いたことを示している。

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道端のキノコ

森の中の石仏

小さな分かれ道があり、再び石の道しるべ「右 松尾道」。施主は、平群町三里の「森奈ら華」とある。大正時代に「奈ら華」という洒落た名前の女性がいたのだろうか。それとも「ら」は私の読みが間違っているのだろうか。確かに「ら」だと思うが、昔の字だから、自信があるわけではない。左側の道を辿ってみたい気もするが、そんなことをすると、数か月前のように沼に行き当たって道を失い、捜索隊を出すのに、どれだけお金がかかるか知ってるの?とカミサンに後で叱られるはめになるから本道を行くとするか。

分れ道から少しばかり登ったところに、立ち姿の石仏がおわす。近づくと、薄くなった浮き彫りから、十一面観世音菩薩であることが分かる。観音の左右に「厄拂」「観音」の四文字。緞子の前掛け姿で立つ。両脇に美しい花が供えられている。まだ生き生きとした菜の花、オレンジ色のガーベラ、変り咲きの水仙、それから仏壇に供える「しきみ」。しきみは毒があるので、厄払いのつもりだろうか。甘酒らしい白い液の入ったビン、日本酒のビン、数珠なども供えられている。こんな不便な山の中までたびたびお供えに上がって来る人がいることに打たれる。願掛けをしている人なのだろうか。

その先はよく似た感じの山道がうねうねと続く。道に縞模様の石が見える。ここが昔は海の底だったことを示しているのだろう。確かにこの矢田の丘は、奈良盆地に対してせり上がったところで、奈良盆地そのものが、かつては海の底であったらしいから、ここに堆積岩があっても不思議ではない。そう考えてから、いや、堆積岩ができるほどの昔は数千万年ほども遡るのではないか、そんな昔なら、日本列島のどこだって海の底だったかもしれない。ここにあるシダの葉、脇に生えるクヌギの樹、道の石、それぞれに少なくとも数千万年の歴史を背負っているのかと考えると、それぞれいとおしく感じられる。私の身もそれだけの歴史を背負っているのだろうか。私の魂はどうなのだろうか。

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ルリクワガタ(オオイヌノフグリ)

極楽の山里

しばらくヒノキ林が続いた後、山道を登りきったところが峠のようになっていて、その向こうで目の前がパッと開けた。山里の白石畑(しらいしばた)の人が耕している棚田に違いない。あぜ道には咲き始めた小型のカンサイタンポポと、天の星のように青く輝くオオイヌノフグリ。このオオイヌノフグリという名が今では使われているけれど、「ふぐり」を嫌う人もいて、二本の角の形をしたおしべの形から「ルリクワガタ」の名を与えたはずだ。平群に住んでいたころは属名の「ヴェロニカ」で呼ぶことにしていたなあ、と昔を思う。

道に干瓢(カンピョウ)の皮がころがっている。白石畑では今も干瓢を作っていると知らないと、西洋の騎士の兜のような形なので、これはいったい何かと首をかしげたくなる風情で、面白いオブジェだ、と思う。薄暗い林の中を歩いて来て、いきなり明るいところへ出たから、気分も晴れ晴れとする。上に着いたら知らせてほしいという妻の願いに応えて、

―― ここは極楽。来たらよかったのに。

とメールを打った。すぐに返事。なになに、

―― まだ極楽には行きたくない。

だと? おぬし、やるな。棚田を辿りながら、あれこれ思いめぐらした末、こう切り返した。

―― 極楽は ここかと鳥に 問う若葉

棚田の脇に紅い梅・白い梅が咲きほこり、二羽のうぐいすがこちらの林と、あちらの林で啼(な)き交わしている。春だ。背中が少し汗ばんできた。

白石畑の村落に入ると、かかりの家の庭で背の曲がったおばあさんが、藍染めの「どてら」を着て洗濯ものを干している。その縞模様が山里なればこその趣きを醸す。横の村社には名前がないようだが、それぞれの神様に榊をそなえ、いつも丁寧に世話をしていることが伺われる。安楽寺という小さなお寺は公民館を兼ねているらしく、小さなお堂があるばかり。お堂の横のしだれ桜はまだ蕾だった。 → 丘を歩く(1)

( 2009. 03 初出 )