草鞋(わらじ

整体の実習に来られた方から、布織りの草鞋(わらじ)をいただきました。裏にゴムが引いてあって履きやすそうです。朱鯨亭の往き返りに素足で履いてみました。その感想です。

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シラン(花空間けいはんな)

紐の締め方がポイント

草履(ぞうり)や下駄(げた)など鼻緒(はなお)のついた履物に、理由があって私は関心を持ってきました。歩くときに親指の側に自然と力がこもるので、歩き方が修正され、からだ全体にいい影響を与えるというのがその理由です。しかも草鞋(わらじ)には紐(ひも)がついていて(紐のないタイプもあるようですが)、これで足首をくくりますと、とても安定して歩ける。草履(ぞうり)よりもこの点で優れています。

さて、草鞋を履いてみようという方にご注意。履きはじめに苦労するのは、うまく履けなくて、あちこちが痛くなることです。私も、これは何なのだろうと色々と試行錯誤し、気づいたのは紐の締め方。きっちりとうまく紐を締めれば痛くなりません。逆に締め方が左右で違ったりすると、ぎくしゃくと歩きにくい。ですからまずは最適な紐の締め方を編み出すこと。

すでにこの草鞋で片道2.5キロを3往復しました。つまり15キロほど歩いたことになります。そんなに長持ちしませんというお話しだったのですけれど、まだ傷んでいません。これなら永く履けそうです。時々は裏を修正剤で手直しすればいい。

道の状態で違う感覚

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北斎(1760~1849)のスケッチブックとして著名な『北斎漫画』の一部、左二人は駕籠屋、右二人は客

上のように『北斎漫画』を見れば、江戸時代に履物がどんな様子で使われていたかがよく分かります。僧侶・武士などを除いて、素足に草履か草鞋です。他に下駄や高下駄もあるようですが、これはむしろ雨の時など例外的な履物だったのでしょう。農作業などの仕事をしている人は裸足だったらしい。室内もほぼ素足です。絵で見るように都市の生活者はおもに手軽な草履、長距離を歩く旅行者や駕籠屋などはしっかりと歩きやすい草鞋。そういう区別があったように見えます。

雨の時にどうしたか? 読者の方から次のように教えていただきました。「江戸風俗研究家の杉浦日向子さんは、以下のようにおっしゃっていたようです。『雨が降ったら・・「草履」は脱いで「裸足」になるのが普通、当然足袋も脱いだ。・・江戸の絵画では突然の降雨に「草履」を抱きかかえている姿絵がある。非都市部では雨の日に草鞋を脱いで裸足で歩くのは当たり前』」。江戸の浮世絵を見ると、雨の中を草鞋姿で走っているものが出てきます。その時の状況で、草鞋を脱ぐことも、そのまま走ることもあったのでしょう。

さて、私がいつも歩く道は奈良のメインストリートで、舗装道路ばかりです。地道(じみち)など、どこを探してもありません。ですから足の裏に響く感覚がきつい。これが一つの問題といえば問題でしょう。でも家の近くで芝生の上や、地道を歩いてみると、たいへん気持ちがよろしい。適度な刺激があって、裸足に近い感覚です。改めて、足裏の感覚はこんなに気持ちいいものなんだと気づきました。

逆に言うと、靴で足を締め付けて歩けば、足裏の感覚が犠牲になっているということになります。それから足の骨の動きがかなり制限されているのは間違いない。草鞋なら足に大きな開放感があります。靴のような閉鎖性の履物より、草履のような開放性の履物の方に、私は未来性を感じます。特に草鞋は安定性もよくて、申し分ない。問題はどこもかしこも舗装してしまった道路の方にありそうです。

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スイレンの一種(花空間けいはんな)

ついでに舗装の問題点を考えておきましょう。私は、道の表面を覆ってしまうことに問題があるのではないかと思います。土の中には無数の微生物が住んでいることはよく知られている通りです。これを完全に覆ってしまうと、住んでいる微生物が住めなくなるでしょう。住むとしても、嫌気性のものに限られてしまいます。また、地面で行なわれていた空気の交換も行なわれなくなってしまいます。これが都市の空気にどのような影響を与えているのかは、分かりません。でも、土のあるところへ出かけると気持ちがいいのは、こんなところにも原因があるのかもしれません。舗装のあり方について、考え直す時期に来ているのではないだろうか。

足のバランスが大切

日本人の足が退化しつつあると言われて久しいです。その状況は改善されていないでしょう。むしろ高いハイヒールや窮屈なブーツでますます状況が厳しくなっているかもしれません。それから私、ちかごろ気になっているのは、例えば運動靴の底に僅かながら内向きの傾斜をつけてある例があるのではないか、ということです。外側が減りやすい人が多いから、外側をわずかでも厚くしておこうという親切心なのかもしれませんが、余計なお世話です。却ってバランスを悪くしている可能性があります。

草鞋なら、履く人の足のバランスがそのまましっかり歩き方に反映されることになるでしょう。足裏の感覚を確認しながら歩いて見たいという人にお勧めです。できるだけ地道で歩いてみたい。でも地道がなくなってしまったのは、私たちにとって、実はたいへんな損失なのではないか、と思います。靴にしても道路にしても、現在あるものを前提に考えると、現状はどうにもならないことになってしまうかもしれません。けれど、別の形もありうるという立場に立てば、いろんな考え方が出て来ることでしょう。履物や道に、今とは別の形がありうるという考え方が、足の未来を生みだします。

( 2008. 08 初出 )