川歩きの喜び

京都の南に「三川合流」(さんせんごうりゅう)と呼ぶ所があります。三重から木津川、滋賀から宇治川、京都から桂川が流れ来たって合流し、淀川になる地点です。木津川に沿って歩いてみました。広びろした眺めがあり、細やかな表情があって、じっくり楽しめます。

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朝の木津川を渡る近鉄線(城陽市

木津から出発して

知らない人のために、木津川の紹介から始めましょう。源流は三重の布引(ぬのびき)山地、一部は奈良にもあります。三重県・京都府・大阪府の順で流れ下りますので、順に進むなら三重から始めることになります。けれど、上流にはダンプ街道しかないので、朱鯨亭のある奈良近くから始めたい。その名も「木津」(現在は「木津川市」と名前を変えていますが、以前は「木津町」でした)にある泉大橋のたもとから始めることにしました。ここから堤防沿いのサイクリング道が始まっています。脇に草が生い茂ったところを歩くのが足にやさしい。堤防の上を車で走れなくもありませんが、ゆっくり歩くと楽しみが大きいでしょう。

木津川を一息に踏破するなら、京都までおよそ40キロを1日で歩けばいい。出来ぬことではありません。でも、ゆっくりじっくり楽しむのが目的ですから、何度かに分割して歩くことにしました。目指すは江戸時代の街道の終着点、京都・三条大橋です。木津川じゃないぞ、というなかれ。あの辺りまで行くと京都まで歩ききった気がしますから。どこで中断するかは、その時の気分しだい。

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木津川沿いの竹林(右岸)

木か草か

起点になる泉大橋の左岸は竹林です。かつてここから自転車で20分の所に住んだことがあり、子どもたちを連れて来て川を眺めたり水遊びをしたりしたものでした。その頃から木津川沿いは竹林が多い印象を持っています。

竹は木か草か、という論争があります。年輪がないから草だ、いや、ずっと生えているから木だ、というわけでしょう。素人からすれば、どちらでもいいじゃないかということになるでしょうが、見た目からは木のようでもあり草のようでもあります。近くから見ると木のようでも、遠くから眺めると大きな草といえなくもない。そんなことを考えながら竹林を通過しました。

余談ですけれど、世の中にプラスだ、いやマイナスだという論争の多いこと。でも私は、プラスでもマイナスでもあると考える方が、新しい発想の泉になると考えます。判断の岐路に立った時、ただプラスだマイナスだと言い争わず、プラスでもありマイナスでもあると考える方が得策です。これは、色んなことに当てはまる原則でしょう。ですから私の結論は「竹は、木でもあり草でもある」。

和泉式部の墓

サイクリング道が始まってすぐ、堤防から少し南にはずれて見えるほどの位置に「和泉式部の墓」と称するものがあります。和泉式部の墓は全国にあるそうで、例えば京都の新京極にあるのをご存知の方もいらっしゃるでしょう。どれが本当なのか分かりません。墓は故人を偲ぶために、残された人が立てるものだとすれば、どれも本当の墓かもしれません。でも和泉式部は「ここに私はいません」と唱っているかもしれない。ちなみに和泉式部と言われてもぴんと来ない人のために、百人一首に収められた彼女の歌を掲げておきましょう。

あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

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木津川沿いの疎林(右岸)

広がる空間

「夕方には帰宅したい」、これがうちのカミサマの要請です。朝7時に家を出て木津まではJR。そこから眩しい朝日を浴びながら、連れ立って歩いているのです。もちろん、この寒いのに川の堤防を歩いている人など皆無に近い。1月の空は快晴です。寒さは気にならず、まことにさわやか。朱鯨亭近くの佐保川と違い、堤防の上から見れば建物がほとんど見えず、360度が空。こんなに開かれた場所は近辺にめったにない。北海道にでも行けば別でしょうけれどね。

河川敷に家庭菜園の作られている所があります。「河川敷」は普通「かせんじき」と読まれますが、正式には「かせんしき」なんだそうです。ここに数多くの家庭菜園が作られている場所がありました。一級河川は国土交通省が管理していますから、難しくいうとこれは違法。でもどうなんでしょうね。ここは大水が出れば冠水しますから、作っている人はそれを覚悟でやっているわけで、占有しようという意図はない。撤去しますという警告が出ているところがありましたけれど、そこまで無粋な扱いをすることもないと思いますがねえ。放置すると既得権が発生するからでしょうか。

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セイヨウカラシナ

生き物に目を

寒い時期でも、探せば花が見つかります。目立たないから、車から見つけるのは難しいかもしれません。春にいっせいに開くセイヨウカラシナの花がときどき見つかります。それからホトケノザが群生していたりします。暖かいのかなあ、今年の冬は。

木の姿も見逃せません。似たようでいて、一本も同じ姿をした木がないのは驚異です。人の顔もそうですけれど、一つとして同じ姿がないのは、どうしてなのか。あなたの顔がそんな風で、私の顔がこんな風なのは、なぜなのか。謎です。この木がこんな姿に広がり、あの木があんな姿に広がっているのは、なぜ?その場所の生息条件が違うからですか?それとも、一本一本の木がうちに備えている生命の原理が違うから?偶然なのか、必然なのか?それとも偶然かつ必然なのでしょうか。

お客様に土木設計をしている人があり、この人に、なぜ大きな川の堤防には木がないのか、と質問しました。答えは、川底が外より高い天井川では、木があると堤防が弱くなるから植えないですよ、というものでした。木津川の川底はかつて多くの砂をためていたそうで、ほとんど天井川だったかもしれません。けれど大量に砂が採取されて、今は低くなっています。さほど周囲より高くなっている印象がありません。

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大きなエノキ(右岸)

大きな木はあまり見当たりませんけれど、この写真にみる古いエノキが見つかりました。神木として残されているんでしょう。見上げるとほれぼれするいい姿でした。エノキをどうやって見分けるか、というお尋ねですか。たいていの葉っぱは左右対称ですね。エノキの葉っぱは大木になる木にしては、長さ数センチの小さい葉です。付け根のところが左右非対称になっているので、すぐ分かります。

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コサギ(鴨川

堤防の上には木がなくても、河川敷には多くの木が見られます。というより、河川敷の中はほとんど人の手が入っていません。やはりヤナギが多いですかね。

鳥たちも多いですね。ただ、狙い定めたベテランと違って、私のようないい加減なアマチュアにはカメラに収めるのが難しい。鴨川でやっと捉えたコサギ(?)の写真を掲げておきましょう。ほかの鳥たちもたくさんいますが、鳥の種類を特定するのが私は得意じゃありませんので、あしからず。

上津屋流れ橋

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上津屋流れ橋

何といっても写真を載せておきたい筆頭は、これですね。上津屋(こうづや)流れ橋。およその位置は近鉄・大久保駅の南西です。写るのは私ではなく、おじさんが川面を眺めている風情。大水になると橋桁は残り、橋板が流れる仕組みになっているという話です。橋板はワイヤでつないであるので、流されても橋桁につながったまま残るらしい。見てもよく分かりませんでしたが、確かに面白い仕組みです。

時代劇のロケに使われそうな所なので、きっと使われているでしょうが、映画のことは詳しくないので、どなたか、ここが使われている映画をご存知ならお教えねがいたいですね。

川の姿が昔ながら

流れ橋の他にも、見どころはたくさんあります。例えば、下の写真などいかが。イギリスの画家コンスタブルなどが描く風景と似て、古くからの川の姿がそのまま残っている風情です。堤防から堤防までが川だといっても、普段は川幅いっぱいに流れているわけでなく、川幅の一部に水の流れがあります。それを澪筋(みおすじ)と呼ぶそうですね。澪筋が昔のまま残っています。

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古い澪筋(精華町菅井)

その澪筋に柳か何かの木の影が映っていました。たいへん美しく、なつかしい。その向こうは中州になっているのでしょう。だから人が入ることはほとんどない。学研都市の近くですよ、これが。こんなところにほとんど人跡のない場所があるというのも珍しいでしょう?

最後は疎水べりを

私たちが歩いた道筋では、上津屋流れ橋のところから木津川を離れ、北上しました。ここにも興味深いところがあちこちにありましたが、詳しいことは次の機会に譲りましょう。簡単にルートを書いておきますと、明治・大正期まで巨椋(おぐら)池があったところを横切りました。いまはすべて農地で住宅はありません。ここも開放感があって、とてもいいと思いました。その後は、宇治川の観月橋を渡って、京の鴨川沿いを流れる疎水べりの道を歩きました。これもまた面白い風情を残したところがあり、疎水や高瀬川に沿って北上するルートも面白いなあ、と思いました。

まだまだ書いておきたいことが色々ありますが、とりあえずこの辺にしておきましょう。木津川沿いをてくてく歩いて何かいいことがあるのか、と尋ねられれば、大いにありますよ、気分が開放されることが一番大きいですよ、と答えましょう。朱鯨亭に来られるお客様を見ていると、こんなところを歩いてほしいなあ、と感ずることがよくあります。360度見渡せるところをずっと歩くのは、本当に気持ちのいいものですよ。私自身もまた時々ここを歩いて見たい。そう思いました。

( 2008. 02 初出 )