正 坐

「正坐」は改まった時の坐り方で、ずっと昔からそうだったと現代の日本人は思っているでしょう。しかし歴史を遡ると必ずしもそうではないどころか、古い時代には、むしろ珍しい坐り方であったようです。

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千利休の足元

正坐は例外だった

今では正坐が大原則とされる茶道などの世界でも、正坐でなければいけないということはなかった。茶聖とも呼ばれる千利休でさえ、肖像画を見ると「安坐」(私がいう達人坐)をしています。つまり「胡坐」(あぐら)からさらに両脚を左右に開いた形で坐っています。決して正坐ではありません。

矢田部英正『日本人の坐り方』(集英社新書、2011年2月刊)という本を読むと、「正坐」という名前さえ、明治の中ごろから使われ始めたものであることが分かります。それもかなり頻繁に使われるようになったのは昭和になってからで、例えば漱石は「正坐」という言葉を使っていないという。

正坐が坐り方の主流とされるようになったのは、江戸時代に武家社会の習わしとなってからで、それ以前は立膝(たてひざ)とか跪坐(きざ)、胡坐など多様な坐り方をしていたそうです。江戸以前には、むしろ正坐は例外的な坐り方だった。著者の矢田部さんは、多くの絵画を例に示しながら、その証明を進めていきます。

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コスモス

昭和の初めにも使われていない

整体の関連で、ときどき引き合いに出す高橋迪雄『正體術矯正法』という本があります。大正末から昭和の初めに出たものを3冊合本にして復刊した本です。姿勢などについて詳しく書かれている本で、坐り方に詳しいはずの人が著者ですから、正坐という言葉が使われているかどうか興味の湧くところです。

坐り方について書かれているところをあちこち調べてみると、「正坐」という言葉は一つも見当たりません。「坐らせて」とか「坐ったところをみると」というような表現が見えるだけで、「正坐」とは一言も言っていない。すみからすみまで完璧に調べたわけではありませんが、見たかぎりでは見当たりませんでした。ということは昭和の初めでも、まだ「正坐」という言葉が、一般に広く使われる状況ではなかったことになります。

しかし、正坐が行われていなかったのではなく、逆に「坐らせて」と書くだけで「正坐」を表現しているのですから、正坐は広く行われていた。高橋迪雄が「坐ってください」と指示すると、矯正法を受ける人は暗黙のうちに正坐をしていたことになります。これは本の中に出てくるイラストで分かります。「坐らせて」とは「正坐をさせて」という意味だった。

これから分かることは、大正末期から昭和初期の時代までに、正坐が広く行われるようになっていたけれど、「正坐」という名前は広く行われていたわけではない、ということです。では、どう言っていたかというと、漱石などは「かしこまって」とか「端坐」とかと表現しているようです。

高橋迪雄も「正坐」という言葉を使わないものの、正坐で後ろから観察すると色んなことがよくわかると考え、実行していました。例えば正坐している状態で、骨盤の腸骨の上の端を、腰の横のところで撫でて確認する。どちらか出っ張っている方に、その人の重心があり、例えば右の腸骨が出っ張っていれば、右脚に重心が偏っていることが分かる。また正坐の状態で背骨をみれば、全身がどのように歪んでいるかがよくわかると詳しく述べています。

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南蛮煙管

正坐再考

正坐について私の言いたいことがあるとすれば、両足を重ねて坐る人は、左右の差が大きいことです。また、たとえ重ねないとしても、かかとが両側に出ている状態で坐ると、足首が内側に捻れていますから膝を傷めやすい。できれば踵のうえにお尻をのせるような正坐が望ましいと考えます。また、すでに膝を傷めてしまっている人は、無理に正坐をしない方がいいと思います。

法事でどうしても正坐しなければとか、茶道で正坐をしなければとか、そういう人が多いけれど、椅子の生活が多い現代、正坐をしなければ礼を失するという考え方にとらわれることはないと考えます。かつての人たちが安坐や、立膝のような坐り方をしていたことに思いをいたすのも大切ではなかろうか。ただ、和服で立膝というのは無理だとすれば、どのような服装でやるかも再考すべきところです。

最後に『日本人の坐り方』に坐り方の名前が一覧表にして載せられていますから、それをここに引用しておきます。どんな坐り方なのか、想像してみてください。

正坐、割坐、横坐り、両踵坐、胡坐、安坐、貴人坐、半跏趺坐、結跏趺坐、
蹲踞、畳立膝、もたれ立膝、両立膝、しゃがみ立膝、片踵坐、投げ足。

( 2011. 04 初出 )