日本起源の気功法
気功は中国のものと思っている人がほとんどでしょう。しかし事実は少し違うらしい。日本から中国への影響がかなりあったようです。
中国の気功は新しい
中国に「気功」の永い伝統があったことは否定できません。今も「導引」(どういん)といわれるものが残っていますし、古代の「気功」にあたるものが、絵として伝えられています。ただ「気功」の名称で確立されたのは新しいことで、毛沢東の率いる中国共産党が支配するようになってから、つまり第二次世界大戦の後らしい。実質が出来上がったのは、ここ50年ほどのことではないでしょうか。
顕動法
中国で人気のある気功法の一つに、自分の身体が意思とは関係なく勝手に動き出す「自発功」(じはつこう)とか「自発動功」(じはつどうこう)があります。その起源を探っていくと、日本で大正年間に盛んに行われた「大霊道」(たいれいどう)に行き着くことが明らかにされています。これは岐阜県の恵那市に本部があった団体で、創設者は田中守平(たなか・もりへい、1884-1928)という天才的な人物でした。彼が創始した修行法である「顕動法」(けんどうほう)は、「自発功」と同じ趣旨のものでした。
大霊道の解説書(興味のある方は検索してください)があり、ネットでも紹介されていますので、実際にやってみました。胸の前で合掌し、両肘をまっすぐ直線状にして両方から思い切りぐっと手のひら同士を押さえ合う。すると、手がまず左右に、ついで上下に激しく揺れ始めます。からだ全体の強烈な動きが出るため、せいぜい1~2分しか続けられないでしょう。だれでも真似のできるものではありません。心身に大きな問題のある方は試してみたりしないでください。この団体の本部は火災に見舞われ、また田中守平の死去とともに急速に衰退してしまったそうです。
この他にも「和式気功」といえるものが色々あったようで、『ヨーガ霊動法』(中野裕道、日貿出版社)という本に詳しく書かれています。
活元
同じような趣旨のものとして、少し時代が下りますが、今も影響を与え続けている野口晴哉(のぐち・はるちか、1911-76)の「活元」(かつげん)という健康法もあります。これについては別のページに解説を載せてあります。これはいくつかの準備運動をしたあと、リラックスしていると、身体がまず前後に揺れ始め、次いで色々な動きを出し始めるものです。各地の「整体協会」(私は所属していません)へ行けば体験できますし、"朱鯨亭"の「からだほぐし教室」でも時々やっています。
顕動法に比べるとずっと穏やかなものです。動きが出ているかぎり、いくらでも続けることが可能ですが、野口さん自身はマーラーの音楽をかけながら行ったそうで、その曲は20分ほどですから、まずはその程度がいいのでしょう。趣旨はいずれも同じで、自分の身体の内部でエネルギーを動かす方法といえばいいでしょうか。それとともに、身体が振動していること、つまり波動であることを如実に感じられる方法でもあります。
野口さんが何をもとに「活元」を考案したかはあきらかではありませんが、大霊道の「顕動法」がヒントになっているのは間違いのないところでしょう。大霊道に野口整体の「愉気」と同じようなやり方(ただし手が自発的に動く)があったことからも、これが伺えます。
神道の修行法
そして驚いたことに、こうした修行法・健康法は、さらに遡って神道の修行法ともつながっているようです。非常に古い時期の神社として知られる奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮は「布留」(ふる)という地名のところに所在しています。この「布留」という地名は、どうやら「震う」という言葉から来ているらしい。つまり自分の身体が「震える」ことからこのような地名がついたようです。今となっては明快な証拠は残っていませんが、私はそのように考えています。
このようなことから"朱鯨亭"で行っているのは、中国式の「気功」よりもむしろ、日本で生まれた修行法に起源を持っていると思われる「活元」や「愉気」といったものです。
整体にも気功が含まれている
一般に「気功」は年をへて修行を続けなくては身につけられないものだと思われています。でも必ずしもそうではないことが日々"朱鯨亭"で実証されています。整体を受けている方の頭に愉気をしていると、からだが静かに揺れだすことがよくあるからです。どんな人も気に反応する力、つまり「震える」力を持っていることが、これで分かります。
人体は波動でできています。けっして動きのないかっちりした物体ではありません。脈拍も呼吸も波動であることは明らかですし、からだのあらゆる部分が振動しています。ならば、身体はどのようにも動けるのが望ましいですね。身体はもともと硬いものではない。身体の柔らかさを維持するのは整体の大切な役割ですが、もっと大切なのは、あなたが日々営んでいる波動生活ではないでしょうか。
身体が波動の運動をしていることを如実に表す気功も、けっして特別な人のものではないでしょう。気功などしたことのない人が、頭や背中に気を受けるだけで動き出します。自分の身体と心は振動するエネルギーそのもので、同時に宇宙のあらゆるエネルギーを受けてもいると感じられるようになることが大切だと私は思っています。そういう伝統が日本にあったとすれば、もっとこうしたものを発掘する人が出てきてもいいですね。
( 2007. 09 改訂 )