美しい気舞(けまい)のわざ

からだの声に耳を傾けて、自分のからだが動くままに踊る気舞(けまい)。瞑想としてもすぐれていますから、お試しください。

感覚の準備

気舞といっても、すぐに何のことか分かる人はいないはずです。それもそのはず。私が勝手に名前をつけているだけですから。身体の動きについていくことで、自然に舞をまうような動きを作り出すことができます。これをご紹介しましょう。

まず「感覚の準備」から。手首を手の平のほうに90度まげます。そうして、手の甲を壁とか柱とかに押し付ける。そのまま10秒間ほどじっと手を押さえつけています。さて、頃はよしと手を放して、腕をからだの横にだらっとぶら下げます。そうすると、あーら不思議。腕が自然に上に上がっていく感覚が出てきます。その感覚に正直についていくと、腕が横へ上がっていく。これは自分が腕を上げている感覚ではなくて、自然に腕が上がっていく感覚です。これについては、以前テレビで紹介されていたそうですから、ご覧になった方があるかもしれません。

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京都植物園で

とはいえ、これができない人もいます。やってみても腕がさっぱり上がらないという人も少なくありません。でも、失望することはありません。何度か自分の感覚を研ぎ澄ませて繰り返すうちに、必ず腕が上がるようになってきますから。感覚を研ぎ澄ませて、というところが大切です。何か他のことに心をとらわれている時は、うまく行かないかもしれませんが、腕の感覚に集中すれば、なるほどこんな感覚か、と分かってきます。

気感の発生

これができるようになると、今度は「感覚の準備」をしなくても、両腕をからだの横にだらっと下げるだけで、自然に腕の動きが出てくるようになります。両腕がからだから離れて、自然に横に上がるようになってきます。そうなった人は、自然に自分の感覚についていってください。きっと自分の腕が自然に動くようになっていることに気づいて驚かれることでしょう。これを「気感の発生」と呼んでおきましょう。「気」というと、身体の内部の感覚と思われているかもしれませんが、身体の動く感覚でもあるわけです。身体が自分の意思とは別のところで自然に動く感覚、これが少しでも感じられたら、大切にしてください。

昨日、アカペラの女性合唱に取り組んでいるという若い女性が来られました。終わりに、自分の感性を深めたい。即興などがうまくできるようになるにはどうすればいいか、何か参考になることはありませんか、と質問されたので、気舞を演じてさしあげました。すぐに真似てもらうと、さすが即興で音楽をやるだけの素養のある方です。すぐに両腕が横に上がっていく感覚が出て、あ、変です、奇妙な感覚ですね、とおっしゃっていました。この方の場合は、少なくとも「気感の発生」まですぐに到達したことになります。

気舞の実現

気感が発生するようになると、今度は自分の腕の動きをしっかり聞き取ることに集中します。そうすると、腕が自然にいろいろな方向に動き始めます。ゆったりと太極拳をしているような動きが自然に出てきます。この動きは、自分で考えて出している動きではなく、天の指令で自然に腕が動いていく、といった感覚で起こります。あとは、この動きにひたすらついて行くだけです。ゆったりと、天人の舞のような美しいリズムと形が自分の腕から生み出されて行くことでしょう。これを「気舞の実現」と呼んでおきます。

ただ、それではこの時に生まれる動きがすべて天から与えられるもので、まったく自分のものではないのか、というと、そうでもありません。ここが微妙なところです。活元を自分でして見られた方なら、すぐにお分かりになると思いますが、自分の意思ではないけれど、しかし自分の意思も入っているなあ、という感じ、といえば正確でしょうか。こんな風に動くんじゃないか、と思うと、そう動きます。

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京都植物園で

実は、この気舞を思いついたのは、横浜から清水龍太さんという優れた整体師さんが来られて、この方の整体操法を受けたことからです。私のからだに自然な動きが出て、それが素直な美しい動きになるんじゃないかと思いました。そう思ったのは、ずっと昔に活元を熱心にやっていたころ、公園で立ったままやっていたときに、自分の身体が回転する感覚が出てきたことがあったからです。その感覚を思い出しました。

龍太さんが帰られた後でやってみると、確かに太極拳のような動きが出てきました。ああ、これはいい、と思って気舞(けまい)と名づけ、龍太さんにもお伝えしました。自分のからだが自然に動くだけで、自然に自分のからだの調整にもなるわけですから、こんなにいいことはありませんね。

エゴからの解放

さて、こんなふうに書くと、さっそくまねをして、これを商売にしようとする人が出てきかねない。でも、そんなことをしても、これからの世界ではもう通用しなくなると思います。だれでも色々なことができるようになってきているからです。からだのわざは確かにダンスや舞踊のように難しいものもあります。けれど、この気舞は自分の意識でコントロールするものではありませんので、誰でも、何の練習もなくできてしまうものです。これまでに自分のからだの感覚を素直に受け止めてきたかどうかで、少しは結果が違うかもしれませんが、できるようになることは間違いない。

あとは、自分でしてみようという意欲を持つかどうかの違いです。これができるようになれば、あなたの感覚は色々な面で随分ちがってくることでしょう。これを人前でやってみるだけで、エゴにとらわれることが少なくなるのではないだろうか。エゴにとらわれているより、エゴを少なくしていったほうが、ずっと色々なことがうまく運ぶようになると私は感じています。

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中国剪紙 琵琶の奏楽

気舞の終り方

気舞について、いくつかのお尋ねがありました。まず「目を開けていてよいか」というご質問です。目を開けていてもかまいませんが、目を閉じてやるほうが集中しやすいでしょう。薄目の「半眼」でもいいですね。

それから「終わりに特別なことは必要ないのか」というお尋ねですが、終るときは少し自分だけの儀式をしたほうがいいでしょうね。私の場合は、右手・左手の指をそれぞれ数回ほど揉み合わせます(これはあなただけの別の儀式を決めてもかまいません。以後、活元や瞑想をするときなど、かならずこの儀式で終るようにします)。それと同時に大きく何度か深呼吸をして動きを完全に止めます。

もしも終ってから動きが再開するとか、動きが止まらないという場合は、深呼吸を何度も続けて動きを止めてください。これで終わりです。気舞をしていたときの意識とは別の、普段の意識に戻るわけです。だれにもじゃまされないところで、初めは練習するのがいいでしょうね。一種の瞑想でもありますから。

普段の意識と、瞑想の意識とは違うところがある。その違いをからだの感覚としてとらえておくと、普段の意識から瞑想の意識に移ることが容易になってきます。そうすると、準備もなく、すぐに気舞に入ることが易しくなります。