ヨーガ(ヨガ) その面白さ
ヨーガは、マカ不思議なむずかしいポーズをする体操だと思っている人が多いでしょう。でも、それは当たっていません。ヨーガは瞑想だといった方が正しい。
なぜ「ヨーガ」か?
ヨーガの道場に見学に行くと、普通には考えられないような形をとっている人たちがたくさんいます。あの形に幻惑されてしまう人が少なくない。どう考えても、あんなむずかしい形ができるわけない、と初めからあきらめてしまう人が多いかもしれません。あのような形を普通は「ポーズ」と呼んでいますね。「コブラのポーズ」とか「死体のポーズ」というように言います。あれを、もともとの言葉であるサンスクリット語(古代インドの言語)では「アーサナ」 asana と呼びます。「死体のポーズ」は「シャヴァ・アーサナ」です。
30年ほど前、ヨーガの道場に通っていた時期が、私にはあります。今も『ヨーガ根本経典』(ヨーガ・スートラ)の訳者として日本のヨーガ界では名高い佐保田鶴治 先生(さほた・つるじ、1899-1986)門下でヨーガの練習に励みました。佐保田先生がいらっしゃった宇治のアシュラム(道場)とは別の場所でしたが、その門人が指導にあたっていました。でも、やはり佐保田先生の指導を受けたくて、宇治のアシュラムへも通いました。佐保田先生はいつも「ヨガ」とは呼ばず、正しいサンスクリットの発音で「ヨーガ」と呼んでいらっしゃいましたし、著書にもそう書いてあります。
ヨーガという瞑想
私は初め、何のためにむずかしい形をとるのか、よく分からないままに、ともかく好奇心だけでやっていました。形そのものが重要ではないと分かってきたのは、ずっと後のことです。例えば座り方にもいろいろあり、それぞれこれにも「何々アーサナ」という名前がついています。これが分からなかった。ポーズと座り方はぜんぜん別じゃないのか、なぜ同じアーサナなんだろうと、ずっと思っていました。
考えてみると、座るのは瞑想のためです。深い瞑想にはいるために座る。それが「アーサナ」です。そうすると、他のいろいろ難しいポーズにも「アーサナ」という名前がついているとすれば、それらも瞑想のためのものであるに違いない。いろいろな形があるけれど、それぞれに目指す瞑想の質が違うだけで、瞑想を目指している点では同じことです。変だと思う人がいるかもしれないけれど、逆立ちをじっとしている人がいる。この人は逆立ちのまま瞑想をしているんですね。だから身体を動かす時も、非常にゆっくりです。その瞑想は、座ってやる瞑想とは質が違う。
ヨーガも気功も同じものだと思い至ったのは、それからです。いずれも肉体の動きを追求したものではないんだ、と分かった。表面の動きは肉体を動かしているわけですけれど、ヨーガにしても気功にしても、肉体とは別次元の気を動かすことが目的になっている。瞑想も同じものだといってしまうと、誤解を受けるかもしれないけれど、瞑想もやはり気の動きをめざしたものです。表面の肉体に動きはないけれど、気が動いているのが瞑想ですね。膝の上に手の平を上向けにしていると、手の平に気の動きがはっきりと感じ取れます。
こんなわけですから、気功やヨーガの形だけを一生懸命に習ってもあまり意味はない。むしろ害のある場合があります。それについては次項で。