足で脚が分かる
わたしたちのことばでは「脚」 leg と「足」 foot が同じ「あし」ですね。「腕」 arm と「手」 hand は違いますが、「うで」のことを「て」と言うこともあります。また「うで」は、ひょっとして「う+て」なのかもしれません。すると手も足も、先と軸とが同じことばで表されていることになる。これには何か深いわけがあるのでしょう。
足をよく見る
私にはその深いわけが分かりませんが、脚と足のあいだに深いつながりがあるのは確かです。足首をくじくと膝が悪くなりますし、膝のねじれが足首の動きをさまたげていることもある。足と脚とが悪くなると、上に乗っているからだがぐらついてくることになります。
ですから整体にとりかかる時に、私は足から始めます。ぎっくり腰のように激しい痛みがある時は痛みのあるところから始めますけれど、たいていは足から始めます。上向きに寝てもらって足の形をまず見るわけです。といっても足の形がいいかどうかを見て、それを楽しむわけではありません。
足のかたちがおかしい
もちろん足の形といってもさまざまです。おもにどこを見るか。まず二つの足の開き方を見ます。床に対して何度くらいで立っているかを見る。床から60度くらいで立っているのが美しいとされています。これより立っているか、内側に倒れているものは、「内股」といわれたりします。また60度より外に倒れているのは、「外股」といわれますね。いずれもどこかに異常があります。
専門家の説明では、股の関節が「内旋」したり「外旋」したりしているという説が多いです。「内旋」は内側にねじれているということ、「外旋」はその逆です。ただ、股の関節はもともと回る関節ですから、それが内側や外側にねじれているというのは、すなおに考えてヘンな説明です。膝の開き方やねじれ方もかかわっていますし、足首のねじれ方もかかわっていることが明らかですから、ますます「内旋」とか「外旋」という考え方はあやしい。
もちろん、こういう説明をする人には、それなりのわけがあるのかもしれません。でも、これまでの科学の歴史をみれば分かるように、現在の眼からすれば、頭がおかしいと思えるような説明をつぎつぎ繰り出して満足していたわけです。いまでも、いたるところにヘンな説明があふれています。膝(ひざ)について人びとが病院で聞いてくる説明には、吹き出しそうになるものがありますよ。いわく「加齢現象です」。いわく「体重を減らしてください」。これでは何の説明にもなりません。歳をとればすべての人が膝を傷めるというのなら、こんなのも分からないわけではありませんが、そんなことはありませんね。からだの重い人はみんな膝を傷めるというのなら、納得できます。でも、そうとは限りません。はたして現代人は天動説や錬金術を笑うことができるでしょうか。
指曲がり
それから指まがりがないかどうかを見ます。「がいはんぼし」という医学のことばもありますが、「こつそしょうしょう」という言葉と同じで、よい言葉だとはいいにくい。明治の学者かだれかが「こけおどし」(ばか者へのおどし)のために作ったことばではないでしょうか。私はこういう言葉をなるべくなら使いたくない。「指まがり」でいいじゃないかと思います。
権威のある専門家は ―― 「指曲がり」では威厳が無い、矢張り患者に威圧感を与え、診断に服従させるには是非とも外反母趾や骨粗鬆症で無くては為らぬ。斯くの如き難解な医学用語を使用する理由は之である――と心の中で考えているんでしょうね。わたしは、こんなのがいやだから「指まがり」と「すかすか骨」を使います。わたしは「指まがり」にも「すかすか骨」にもなりたくありません。
指まがりは女の人によく見かけます。そして、指まがりがあると、たいていは股の関節が硬い。股の関節が硬いとからだが硬いことが多い。ですから指まがりは、からだの硬さを見るのによい、ということになります。
足の関節の曲がり方をみる
もう一つは上向きに寝ている人の足と脚とが、上から見てどのような角度を作っているかを見ます。脚の先にまっすぐ直線の上に足がついているのがよい。それが内へ曲がっているのはよくない。内へ曲がっている時は、外くるぶしが下がっています。正しくいうと、外くるぶしを先につけている腓骨(ひこつ、こむらぼね)が下がっています。そのために足首がひっかかって内側にまがることになっている。ですから、こんな形になっている足首は、うまく回りません。
もう一つあります。上向きに寝ている人を横から見たときの足と脚との角度を見ます。この角度が大きいときは、ひざが前にずれていることが多いからです。ひざのズレが足首に出ている。こうして足と脚とが強く結びついていることがわかります。