ひ弱になる日本人の足

履き物は、からだに大きな影響をあたえます。歩かない時にキュークツな靴を脱ぐ人がいますが、確かにじっと座っている時にふさわしい履き物ではありませんね。

時代遅れになった靴

足の親指が曲がっている(外反母趾の)人が少なくありません。指まがりを防ぐために鼻緒(はなお)のある履き物をはいてみてはどうでしょうか。草履(ぞうり)や下駄(げた)です。

私の指は曲がっていませんが、下駄をはいています。ゴムを裏に張った下駄です。草履をはいていることもあります。いずれも足に開放感があって、とても気持ちがいい。皮膚に跡が残るほどきつい靴下をはいた上に、重くてキュークツな靴をはく気になれません。

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とある寺院の内陣

先日の新聞に漫画「サザエさん」のことが書いてあり、昭和30年代には洋服・げた履きで選挙の投票に行く姿が描かれていたそうです。今のような靴下と靴という洋式のスタイルを日本に導入したのは、いったい誰だったのでしょう。オフィスでじっとパソコン相手に仕事をする人が多い時代に、靴下と靴というスタイルはどう考えても、もう時代遅れではありませんか。

足の研究家、近藤四郎さんは『ひ弱になる日本人の足』(草思社、1993)の中で「開放性」の履き物と「閉塞(へいそく)性」の履き物を区別しています。「開放性」とは、下駄や草履のような、足が直接に空気にふれている履き物。「閉塞性」とは、革靴のように足がじかに空気にふれない履き物です。じっとしている時は「開放性」の方がいいのは言うまでもありません。

近藤四郎さんは「素足」(すあし)「裸足」(はだし)の区別も強調しています。「素足」とは靴下や足袋など、何もつけないで履き物をはいている状態。「裸足」とは履き物もなしで、じかに土に足をつけている状態です。コンクリートの上を裸足で歩くのは気持ちがいいとは言いにくいかもしれませんが、じっとしている時の素足のすがすがしさは強調しておいていいでしょう。素足に草履をはいてパソコンを打つのが新しい

歩きにくい靴

ところが、わざわざ歩きにくい履物をはいて歩いている人がいますね。そう、若い女性です。細いヒールの靴をはいている人。あれは危なっかしくて見ていられません。階段を上って行くときなど、うしろから見ていると、ヒールが左右に倒れながら歩いているじゃありませんか。さぞ歩きにくいだろうなあ、と同情してしまいます。

あの格好で歩いていると、足に無理な力が強くかかりますから、腓骨(ひこつ)の下がっている人がとても多いですね。ふくらはぎの前にある細いほうの骨です。力が外側にかかっているから、自然とこの骨がずり落ちてくるようです。そうすると、足首が動きにくくて、捻挫をおこしやすい。足首の動きがわるいために、さっそうとした歩き方ができません。歩きにくい靴をはいて、いいことはありません。歳をとってから苦しむことになります。

道がなくなった

下駄を履いて歩いていると、たいへん歩きにくいところがあります。それは歩道です。歩道にはクルマの出入りのためにあちこちに傾きがつけてありますね。靴をはいていると気づきにくいですが、下駄や草履だと道の傾きを感じてしまって、たいへん心地よくありません。こんなのは「歩道」じゃない、と悪口をいってみたくなります。

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山辺の道で

あれは道がクルマ最優先で作られている証拠です。国道沿いの歩道なら、そんなに出入りの傾斜がありませんけれど、その代わり、国道は人が歩いていませんね。奈良盆地のまん中には24号線という国道があります。ここの歩道を歩いていると、自分以外にはだれも歩いている人がいませんから、自分は異星人なのかと奇妙な感覚になってしまうほどです。

道がなくなってしまったんですよ。みんなの心の中から。ともかく歩かなくなった。歩いているのは異星人だけ。あるのは道ではなくて、クルマの通路だけです。「遊」という字は、道をぶらぶら歩くことを意味するそうですが、もともと「道」はぶらぶら歩くところだった。でも今は、道を歩く人が少なくなって、たいては舗装道路です。土の感触を楽しみながら、ぶらぶら歩ける道がなくなってしまった。

鼻緒に力をこめる

草履や下駄をはいていますと、鼻緒のところに力を入れないわけにいきません。鼻緒に力が入っていないと、うまく歩けないからです。ですから鼻緒のある履物をはいていると、力が内側に寄ってきます。力が内側に寄っているのが、からだにとってはいい状態です。このことは足に限りません。からだのどこをとって見ても、力の入り方が内側によっているほうが安定しますし、必要な力がそこに集まってくる。

「丹田に力をこめる」という言い方がありますが、あれは力が中心によっている状態です。力んで下腹に力を入れるわけではありません。そんなことをしたら余分な緊張が生まれて、かえって安定しなくなるでしょう。鼻緒のある履物で歩いていると、力をからだの中心によせる訓練が知らないうちにできていることになります。腓骨が下がってくる心配もない。

もっとも、山道を歩くようなときには下駄や草履では歩きにくいですから、昔ながらのわらじがいいかもしれませんが、私もそこまで試してみたわけではないので、なんともいえません。でも、平地では鼻緒の履物で歩くのがいい。指曲がりの予防になるだけでなく、からだの中心に力を集めることができ、「丹田に力がこもった」からだを養って、集中力をつけるのにもいいだろうと思います。

一本歯の下駄

一本歯の下駄を履いて来られた人がありました。まさか、天狗様ではありませんよ。整体を受けに来られた方です。そんなものを履いたことがなかったので、履かせてください、とお願いをして履いてみました。どういうわけか、そんなものを履いてこけてしまったらかっこ悪いなー、などとはちっとも考えませんでした。歩いてみると、これが歩けるんですね。そんなに難しいものではありませんでした。ちょっと見るとバランスをとるのが難しそうですけれど、さしたる問題もなく歩くことができました。これも下駄で歩いている効用でしょう。ただその方によると、じっと止まっているのが難しいそうです。