少年のように
今も少年のようだ、と自分で思うことはありませんか。夢の中に少年時代が出て来ました。
山の遺跡で
先日、夢で自分がハゲ山を走り下りているのを見ました。目が覚めて、このような夢を時々みるなあ、何なんかなあ、とぼんやり考えました。それで、ああ、あれかと気づいたのは次のことです ── 。
昔むかし11歳のころ神戸に住んでいた私は、家からさほど遠くない「伯母野山」という高台で、弥生時代の遺跡が発見されたという新聞記事を見つけ、クラスメートを誘ってスコップを持ち、出かけました。
今から考えると宅地の造成でもしていたのでしょう。一帯がハゲ山になっていて、あちこち探しても、遺跡らしいものは見つからない。斜面をいじくっていると、一人のお兄さんがやってきて、「そんなところじゃダメだ。ここを掘ってみろ」と私のスコップを取り上げて、斜面の一部をサッと掘ると、すぐにそこから土器が出てきました。
「本当はこういう出土品を持って帰ってはいけないけれど、かけら程度ならいいだろう」と、それを袋に入れてくれました。そのあと友達と私はハゲ山をバアっと走り下りて急いで家に帰り、土器片を組み合わせてみようとしたと思います。あまりうまく行かなかったでしょうが、強い好奇心が生まれたのは確かです。
山を降りる楽しさ
たぶん夢で見たのは、この時の記憶だった。なぜバアっと走り下りるのか。それを振り返ってみましょう。当時の私は六甲山系に登るのが日課のようになっていて、学校が終わるとすぐに山に走っていくような生活でした。親も何も言いませんでした。当時、神戸では「勉強学校」と呼ばれていた学習塾に行ったこともありませんでしたし。
思い返してみると、山に登るときよりも降りる時の方が楽しかった。登る時は、山道を上って行くのですが、降りる時は道のないところをいたずら坊主どもが、めちゃくちゃに走り下るようなことをよくやりました。どこへ下りるか分からない、それがおもしろかったわけです。どこかの家の裏庭に出て叱られたりする。あるいは川の上流に出て、その谷を下っていくと、いつも見慣れている川に出たりする。それが面白くてね。興味津々、わくわくするわけです。足は葉っぱで切れたり、ころんだりで、いつも傷だらけでした。
信州のようなところで、こんなことをするとたちまち遭難でしょうが、六甲は降りていけば必ず市街地のどこかに出ますから、迷うことがありません。このことが夢に出て来たのだと思いました。
少年のように
話は変って昨夜。初級講座に参加されている方々で打ち上げ会をしました。色んな話題で盛り上がっている時、ある女性が、「みんな少年のような」と言われた。ああそうだ。確かにあの嬉しそうな顔は少年のものだな。整体をやる人は、みんな少年・少女のままでいるんだろうか、と思ったものです。
私も人のことを言っていられない。神戸時代の自分を振り返ってみると今も変っていないな、おんなじだな、と思います。好奇心を爛々と輝かせ山から走り降りていた時と、何も変っていません。
整体という作業も、山を走り下りるのと似たところがあって、どこにたどりつくものやら、やって見なければ分からない。驚くような結果が出ることもしばしばです。分別臭くなったらおしまいだ。今しばらく少年のように続けて行きたいものだと思っています。
( 2012. 10 初出 )