松本道別について
かつて「霊術」と呼ぶ技法がありました。整体の先駆技術といっていいでしょう。ただ、その実態はあまり知られていません。ところが・・・
松本道別という人
実習に来られているYさんの店をのぞきに行きました。しばらく話をする内に、彼が出して来たのは『靈學講座』(原著1928年、八幡書店・復刻1990年)という大冊です。表紙に「松本道別」の文字。ああ名の知られた人ですね ── といいながら中を見ると、実に驚くべき内容です。「呼吸法」・「行気法」・「霊動法」など、かねてから私が知りたかった整体の源流を詳しく書いた本ではないか。一口に「整体」といっても百人百様で、どこに起源があるのかは確かではありませんから、以前から起源を探ってみたいと思っていました。
確かにこの本は、どこかの書店で背表紙を見たことがある。しかしいかにもおどろおどろしいタイトルに恐れをなして手にとって見なかったに違いない。「松本道別」(まつもと・ちわき)の名も、何かで読んでいるに違いないが、記憶に明確には残っていません。ただ単に見たことがあるという程度に過ぎません。さっそく私はYさんに厚かましく、「しばらく貸してください」と頼みこんだ。
あとでYさんに「なぜこの本を読もうと思ったのか」と尋ねてみると、整体の先達である野口晴哉(はるちか、1911-1976)がこの人に学んだというので、まずは元から勉強するのがいいかな、と思った ── という返事でした。そんな簡単な理由だけで、これだけの大冊を読もうと思うものかどうか。誰かに勧められたのではないかと私は思いますが、そうでもないらしい。
野口も松本から学んだ
それはともかく、借りて帰って読んでみると、確かに野口晴哉が整体の柱にしていた、活元・愉気・行気といった技について、実に詳しく書かれています。では松本道別はどういう時代の人なんだろうか、と調べてみました。野口は松本に師事したことがあるはずです。結果は、松本道別(1872-1942)ということになっています。野口から数えると、40歳ほど年長です。計算してみれば、60歳ころの松本道別に20歳くらいの野口が師事したということになるでしょう。なるほどそれは大きな影響を受けて当然だと考えられます。野口がどこかで新しい自動車を手に入れて、松本を乗せたという記事があるという。
この『靈學講座』という本を詳しく読む価値があるかどうかは読む人しだいでしょうが、整体の歴史を知るのに不可欠の資料であるのは確かです。松本の生きたのは、明治初期から昭和初期に掛けての時代で、この頃には整体というか、そのころの言い方で「療術」とか「霊術」とかが大流行した時代らしい。正體術の高橋迪雄(みちお)の生没年は不詳なので分かりませんが、かれが正體術の三部作を発表したのは確か昭和3年(1928年)のことで、松本は56歳、野口は17歳で、野口は高橋にも学んだことがあるようです。
ちなみに野口晴哉の「愉気」は、元来「輸氣」と書いていた、それを後に「愉気」に改めたと読んだことがあります。その「輸氣」という表現を『靈學講座』を読んでいて見つけました。
「接手輸氣法 相手の患部に片手又は両手の掌面を當てて人體放射能を輸(おく)りこむことで、輸氣の輸はオクル、氣は人體放射能を意味する。・・・」(復刻版p.441)
松本も「輸氣」という言葉を用いていたことが分かります。どこから輸氣という言葉を持って来たかは解りません。色々な新造語が続々と出てきますから、松本が作った言葉ではないでしょうか。
群雄割拠の時代
もう一人「太霊道」を開いた田中守平(1884-1929)は、松本の12歳年下にあたります。この人の書いたものも興味深いので、私も上下二冊本を持っています。松本と田中は喧嘩わかれをしたらしく、『靈學講座』の中で松本は田中のことを「片腹痛い」と書いている。ま、そういう時代でした。他にも岡田虎二郎、江間俊一などの療術家や健康法の研究家がウヨウヨいた時代ということになります。
今では「整体」というと「野口整体」が代表のように知られていて「整体」の名前も野口が命名したと言われています。しかしそれ以前にも「正胎」等の書き方があったようですから、野口が統一したとは言えても、野口の独創だとは言えない。松本道別をはじめ高橋迪雄、江間俊一、田中守平などの面々がさまざまな技法を伝えていた。その中から、次第に「整体」という技術がまとまって来たことが『靈學講座』の本で知られます。
松本のさらに以前には何があって、誰が活躍したのか。それは分かりません。ただ、中身から伺われるのは神道や武術のわざが源流の一部であっただろうということです。
ご参考までに、この本に付けられた付録に基づいて、ウィキペディアの中に「松本道別」の項目を新規作成しましたから、ご興味のある方は読んでみてください。また、詳しい情報をお持ちの方は、さらに書き足してくださるとありがたい。
( 2013. 12 初出 )