はたらく

かつて整体の勉強に来られたことのある静岡県のTさんがたくさんの本を送ってくださいました。Tさん、どうもありがとう。『中村とうようの収集百珍』がお勧めだとありましたが、これはなるほど亭主にぴったり。さっそく楽しみます。

書棚の本が増えました

これまでも数名の方々が本を送付・持参してくださって、たいへん参考になりました。いずれもタイムリーというか、私の心の中をご存知のようなぴったりの内容で、そのたびに驚かされました。Tさんも朱鯨亭の亭主ならこういう本を読むだろうとよくご存知で、またまた驚きの連続といったところです。朱鯨亭にお越しになる方々にも読んでいただけるよう、書棚に加えておきましたので、皆さんどうぞ。

また、このまえ複数の方々が貸してくださった数冊の本は、私がもやもやと考えていたことをすっきり説明してくれる内容を備えていました。大きな参考になりました。この場を借りてお礼を申します。

nigauri
熟したニガウリ

飄々とした疑問

さて、荷物に添えてあったTさんの便りは、文章に飄々とした調子があって、味わいが深い。亭主のやっていることのどこが足りないかをよくご存知で、こういう考え方をすればどうか、と示してくださっているように思います。Tさんの思いとは少しずれるかもしれませんが、引用させてください。きっとニコニコして「どうぞどうぞ」とおっしゃるでしょう。Tさんのお便りには、次のような含蓄の深い言葉がありました。

朝な夕なに散歩している人々を見ていると、健康になる為にと歩いている表情は、空も木々も目には入っていそうもないなあ。「欲をかいた健康」の為とでもいう姿にしか見えてこない。

肩がいたい、ヒザがいたい、というのをバランスをよくして消していく助力が整体だけど、山が風が雲が目に飛びこんでくるような生活になればと思う。

整体を考えると、何か体のバランスの事ばかり考え、大きなものがポッカリぬけている様な自分の考えがあるような気がして。

賢治が描いた理想

これをどうとらえるか。人によってさまざまな読み方が可能でしょう。ここでは「ポッカリぬけた大きなもの」とは何なのか、私なりに解釈しておきたいと思います。

Tさん。次にあげるのは宮沢賢治の書いた「農民芸術概論綱要」の一部です。

かつてわれらの師父たちは 乏しいながらかなり楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され しかも科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ しかもわびしく堕落した
 (一部かなに書き換え、スペースを空け、読みやすくしました)

waterlily
スイレン

賢治が言おうとしているのは、人々の生活がどこもかしこも「労働」の一部になってしまったということです。現在では事態がさらに進んで「労働」という言葉さえ不十分になってしまっているかもしれません。アメリカの瓦解した企業のように、架空の債券を動かすことが生活のほとんどになっている人たちだっているでしょうし、自分の打ち出す文書がどういう意味を持っているのか、何も分からないまま作業をしている人もいるでしょう。それが終電まで続く生活とは何なのだろう。

こんなことなら、整体で身体のバランスをとり戻しても、後にあるのは「生存」ばかりではないのか。私たちは空・木々・山・風・雲が目に飛び込んでくるような生活をしているか。芸術や宗教が生き生きとはたらいているような生活をしているか。

そういう生活ができるように整体に取り組むことはできないだろうか。ただ身体のバランスを変えることに汲々としているようでは不十分ではないだろうか。風の見える生活ができるように整体する=はたらくことはできないのか。

Tさんのおっしゃりたいのは、そういうことではありませんか。整体に取り組んでいる人間として、このような問いかけを無視して通ることはできません。整体の究極目的は人が「楽しく生きて」いくことでしょうから。

rukosoh
ルコウソウ

はたらく

もう一つTさんの便りから ―― 。

「はた」が「らく」になるから「はたらく」という人もいます。他人が楽になることをしてお金をいただく。そんなにまちがった解釈とは思えない。「はた」が「らく」になると「自分」も「楽」になればいい。

語呂合わせといえば語呂合わせではありますが、「はた」が「らく」になることが「はたらく」ことだ、とは含蓄のある考えです。人が人類として存在していることの全体さえ指し示しています。あなたは「はた」が「らく」になることを考えて「はたらく」ことができていますか。それによって自分も「らく」になっているでしょうか。人類として存在しているとは、多分そういうことでしょう。でも現状は逆になっているかもしれませんね。

「楽しく生きる」こと、「はたが楽に」なって自分も楽になることを私たちの理想像にしたいと思いました。

( 2008. 10 初出 )