なぜ食べすぎるか
肥えた人の筋肉は硬いことが多い。見かけほど柔らかくない場合が多いように思います。 そうでない人もいますが、硬い筋肉が血管をつよく圧迫し、血液循環が悪くなっているにちがいありません。 これはからだにとって望ましくないですね。
食べることが煽られる社会
肥えた人が昔にくらべて増えているように感じます。よく肥えたとは言わぬまでも、太めの人が多い。特に壮年期の男性に、太めで、身体の硬くなってしまっている人が多いように感じます。これは社会現象なのでしょうか。少し立ち止まって考えてみましょう。
雑誌を見ると、カラー・ページにおいしそうなグルメ記事がいっぱい載っていますね。週刊誌だけでなく、新しい趣向の雑誌でも食べ物の話題だけは何の疑問もなく載せる。私の家にはテレビがありませんので詳しくは分かりませんが、番組欄でおよその想像がつきます。 料理番組や食べ物の話題が多いことに変わりはありません。食べ物の話題を載せておけば、とりあえず当たり外れがない。
でも私が考えるのはちょっと違うことです。現代日本人は色々な欲望が満たされ、欲望を拡大するなら食欲の質を高めることしかないという、古代ローマ帝国末期の様相を示し始めているんじゃないだろうか。そんなことを思います。街に出れば至るところに食べ物店が並んでいて、それぞれ建物の外観に工夫を凝らし、お客を何とか獲得しようと必死だ。新しいショッピングセンターが建設されるときには必ず多くの飲食店が参加します。
マスメディアに有名人が登場して、それぞれのグルメぶりを披露していますね。そこらじゅうに食べ物店があって、ねこもしゃくしも(なんて、もう死語ですかね)出かけて行くのは 異常事態なんではなかろうか。みんなそのことに気づいているのだろうか。疑問です。食欲が社会的に作られているんではないかと仮説を立ててみたくなる。
緩むために食べる
〈 食べる 〉 という行為の根底にあるのは何でしょうか。身体の働きとしてみると、 ものを食べると 〈 身体が緩む 〉 という事実がある。それまでカンカンになって仕事をしてきた人が、昼休みでほっとする。そういう感覚です。ものを食べているときは、交感神経ではなくて副交感神経が優位になっています。面白いことに消化器官は副交感神経が支配している。ですから、食べているときは身体が緩んでいるわけです。
ものを 〈 食べる 〉 という行為は、こんな風に見ると 〈 身体を緩ませる 〉 行為だといえます。 何のために身体を緩ませようとするのかといえば、緊張が高いからでしょう。もちろん、こういったからといって、 すべての人がこんなことを考えながら食べているわけではありません。むしろ何にも考えずに食べているでしょう。 でも潜在意識には緩みたいという欲求があるのではないか。
身体にとっては食べることが 〈 緩ませる 〉 ことになっているとすると、 〈 食べる 〉 ことが煽られる社会が何を基盤としてなりたっているかも自然に見えてきます。 〈 緩ませる 〉 必要が高まっている社会だ、ということです。言い換えれば緊張が高い社会だ、ということになります。 そんなに緊張が高いのだろうか。そんなことはない、という声も聞こえて来そうです。でも、 やはり深いところで緊張が強い社会だといっていいのでしょう。緊張が続くと不安が高まる。
野生の動物がぶくぶくと太ることはないのに、なぜ人間だけが食べ過ぎるのか。 漠然とした不安が存在の根底にあるからではないでしょうか。太っている人は 穏やかでゆったりしているように見えますが、実は不安をため込んでいるのではないだろうか。 太っていない人間には不安がない、という意味では決してありませんが。
肥えると身体が硬くなりますから、緩みたい・不安を解消したいという欲求も強くなる。体型が気になっていても潜在意識に支配されて食べてしまう。これでは悪循環ですね。私ですか。私はかなり痩せ型です。 172センチ、55キロですから。でもまだまだ食べすぎです。偉そうなことは言えません。
緊張を高めておいて緩める社会
今の社会は、一方で緊張を高め、他方でせっせとその解決策 〈 いかに緩めるか 〉 を提案している社会ではないか。 食べ物だけではありません。環境とか、癒しとか、そういうことが盛んに唱えられていますね。 街では 《 ヒーリング 》 や 《 マッサージ 》 が大はやりですし、食べ物屋も数限りなくある。その理由は一応つけられていても、本当にこころの深いところにどんな理由があるのかは、尋ねられていないように見えます。
硬い身体は緩みにくい。当たり前ですが、みんなどんどん硬くなる方向へ走っているように見えます。一日パソコンにかじりついて、夕方にはジムに行く。しかし筋肉トレーニングは決して緩む方法ではない。といってうまいものを食べに行くと、その時は緩んでも、あとで太って硬くなっていく。困ったものです。
( 2007. 11 改訂 )