試行錯誤
整体は「試行錯誤」の連続であるというと、そんなので大丈夫なの、と質問されそうです。ではその質問にお答えしましょう。
整体は難しい
「試行錯誤」という四字熟語があります。「試行」は「試してみる」という意味ですね。試してみるって、整体の話なんだから、人の身体をそんなに気軽に扱っていいのか、という強いお叱りが飛んで来そうな気がします。その上、「錯誤」は「誤り」の意味ですから、もしも「誤った」ら一体どうなるのかと、心配になってくる人もいるでしょう。確かにあまりいいイメージではないかもしれません。とりあえず『広辞苑』を引いてみましょう。
── 新しい状況や問題に直面して解決する見通しが立たない場合、いろいろと試みては失敗を繰り返すうち、偶然成功した反応が次第に確立されていく過程。
この説明のうち「新しい状況や問題に直面して解決する見通しが立たない」場面は、整体の過程にしばしばあるものです。ごそごそと色んなことをやってみて、うまく行けば儲けもの、というイメージでしょうか。もちろん、すっすっすと絵に描いたようにスムーズにすべてが解決する場合もあります。でも、そうとは限らないのが実情です。
もたもたと難しい、その顕著な実例 ── 。
何をしても虚しい
昨日、整体をしているさなかに電話があり、「今日は空いていませんか?」と言われるので最後の緊急用の枠に入っていただきました。この女性を仮にIさんと呼んでおきます。捻挫だとおっしゃいます。
普通なら捻挫はさほど難しくないので「はい、はい」と引き受けたのですが、そうは問屋がおろさない。聞いてみると、2年前の捻挫で、それが毎日腫れ上がっていて、どこでどのようなことをされても、まったくよくならないという。確かに、こんなにひどい2年続きの捻挫なんて見たことがありません。
その過程を詳しく書いても興味をもつ人は少ないでしょうから、簡単に概略を書いておきます。まず左の股関節が亜脱臼状態でした。左の下腿の外側にある腓骨が考えられないほど下がっていました。左足第5指の中足骨がせり上がっている。立方骨がせり上がっている。脛骨・腓骨間が恐ろしく開いている、などなど。捻挫そのものは大したことになっているわけでなく、母趾など周辺のあちこちが歪みまくり状態だったと言えるでしょう。
一口にいうと捻挫が悪いのではなく、捻挫の時に周辺がずれて、そのままになっていたのが具合悪いということです。しかし、これはあちこち触り回った後の講釈で、簡単にどこがどのように歪んでいるかをすぐ検出できたのではありません。レントゲン写真をパッと撮って、ここが歪んでますね、という風なわけには参りません。外科医はレントゲン写真をみて「骨はどこも異常ありません」の一言で終わりだという。お気楽なものです。そこら中が異常だらけではないですか。
どのようにすれば色んなことが分かってくるのかが大切なポイントです。一箇所どこかを触ってみて、そこを少し変化させる。Iさんに立ってもらって、どこが痛いか、どこが改善したかを確かめてもらう。少しずつ変化して行くわけですが、すべての操法がうまく行くことはありえません。試行錯誤です。ただ「錯誤」という言葉には抵抗を感じます。何か操法をして効果が上がらなかったから「錯誤」かと言われると、無理な力をかける操法を使いませんから「錯誤」というほど悪い効果が出るわけでなく、ただ何の効果もないという結果に終わるだけだからです。言い換えれば私のしたことが虚しかったことになります。
そうか、これか
何の効果もない操法が続くような場面がしばしばあります。何か操法をして「はい立ってみてください」。・・「やっぱり痛いです」。じゃあこれは?「痛いですね」。・・そうですか。ではこうしたら?「改善してませんね」。くそー。情けなくなるなあ。あーあ、どうすればいいのか。虚しい・・・という具合。
でも、挫けてはいけない。ここで一息入れて頭の中で全体を整理してみる。すると、ひょっとしてあれが欠けていたのではないか、と思えて来る瞬間があります。次にそれを試してみると、「少し効果がありました」。そうか、これか、となって、次に進む取っ掛かりがつかめたことになります。
こういうことの繰り返しが、整体の過程です。難しい状況になると、1時間にわたって、ぎりぎりの緊張が続くことになります。Iさんの場合は最後の枠でしたから、すでに1時間を超えていました。もう頭の中がヘトヘトです。見学をしておられたMさんが、終わった時に「大変やなあ」とひとり言。確かにその通りです。
Iさんは帰られる時には、かなり楽になった様子でしたから、まずは大任を果たすことができた、とほっと一息。
( 2012. 06 初出 )