力をかけないで
最近、他所の整体院・整骨院などで施術を受けて悪くなったから、直してほしいという依頼が多い。これが気になる点です。
施術院でおかしくなる
そういう例を詳しく伺ってみると、たいていどこかに力を掛けられて、それ以来おかしくなったという訴えです。変った例では、自分で腰の骨をどこか押さえたら、それ以来、その骨の位置が変ってしまって、困っているという人もありました。
例えば、背中を触ってみた時に、どれかの骨が歪んでいる。右側へ少し突出しているとか、一個だけ少し後ろへ飛び出しているとか、そういう場合です。こういう状態を見つけた施術家は、これは何とかしなければ、と思うのですかね。実際に、この骨に力をかけてグイとやってしまう。すると表面的にはその骨の位置が変化して、よくなったように見える。
木を見て森を見ず
しかし、そういう施術は「木を見て森を見ず」だと言いたい。人のからだというものは、単なる部分の寄せ集めではありません。機械であれば、色々な部品を集めてきて、それを組み立てれば全体が出来上がるわけですが、人のからだはそうは行かない。言わばすべての部品が有機的に結びついて全体をなしているものです。どこか一個所を変化させると、それと結びついている個所が変化します。
だから手術をして、どこかの不都合を直すと、別のところに不具合が発生したりします。施術をする場合も同じことで、一個所が変化すると、別の個所が変化します。ですから、「木を見て森を見ず」という操法をしていると、他のところがおかしくなる。しかし操法をした人は、そのことに気づかない。
【操法をする時は、その操法が他のどこにどんな影響があるか】 に注意して操法しなければなりません。操法家は自分は正しいことをしていると思っているのでしょうが、【正しい操法が誤った結果を導く】 こともあると知っていなければならない。
「木を見て森を見ず」というのは、そういうことです。森がどうなるかに、注意しつつ操法しないと、一本の木がまっすぐになったけれど、森全体の力が衰えてしまった、というような結果になりかねません。
人工的な歪みは直しづらい
で、そういう操法を受けておかしくなった人が次々とやってきて、何とかして欲しいと言って来ることが増えた。これは困ります。何が困るかといえば、力を掛けてグイとやられているので、事故で歪んだような状態になっている。自然に、生活の中で歪んだのではないので、たいへん直しにくいわけです。
しかも、こういう事例が私の操法の何割かを占めるようになって来ています。少し難しい人が来られたなあ、と思うと、よその施術でおかしくなったのだと言われる。これには私も恐縮するんです。同じ業界に属している者として困った事態です。こういうことがなくなるように努力をしなければならない。
操法をする人に訴えたいのは、「木を見て、森も見る」ことです。この操法はどんな影響を与えるかを意識しつつ操法していただきたい。と言いながら私自身も、どこかで同じようなことをしてしまっていないか、自戒しながらやりたいと思っています。
ある操法が別の個所にどんな影響をおよぼすか。こういう観点から操法全体を見るために、どうすればいいか。これが重要なポイントですが、このことについては、「操法テキストの応用編」全体のコンセプトになっています。ご参照下さい。例えば、手の指を触る時は、肩や背中にどんな影響があるかを意識しつつやることが必要です。 →応用編について
( 2014. 12 初出 )