命がけの消毒
化学物質の危険性をうっかり知らずに使うと大変なことになる可能性があります。その実例が身近で起こりました。まあ、お聞き下さい。
胃カメラの洗浄薬剤
時々来られている看護士のSさんから、たいへん困ったという相談を受けました。
病院で胃カメラを使った後、しっかり洗浄しないとピロリ菌などが次の人に移ったりして大変なことになるので、グルタールアルデヒド(またはグルタルアルデヒド、化学名1,5-ペンタンジアール)という強力な消毒薬で消毒します。ところがこの薬剤は人体に強い影響があるので、厳重な対策をとって使わないといけない。
Sさんは、そんなこととは知らずに使っていました。ところが、使うほどに気分が悪くなってきた、どうしたものだろうか、という相談です。さっそく調べて見ると重大な影響の出ることがあると書いてある。胃カメラを扱っている人の6割は、これで影響を受けているという報告もあります。看護士だけでなく、医師も影響を受けているだろうという。
Sさんの状態は専門家の言い方では「多種類化学物質過敏症」(MCS)です。つまり、人工有機化学物質(以下、化学物質と略称)を大量に吸い込んだことがきっかけで、そばに化学物質があると、たちまち反応する状態になってしまった。化学物質だけでなく、たばこを吸っている人がそばに来ただけでも気分が悪くなるそうです。いわゆるシックハウス症候群ですね。
動物が危険を察知する力
からだにとって危険なものを察知する能力は動物にとって必要なものです。決して悪いものではありません。動物は自分にとって危険なものを食べませんね。たとえば奈良公園の鹿は馬酔木(あせび)を食べません。そのために馬酔木がたくさん生えている春日大社の奥には鹿がいない。
手前の参道周辺では鹿が樹の下の葉っぱを食べてしまうので、人の背の高さくらいのところにディアーラインというものが出来てしまっていますが、春日大社の奥の方は鹿に食べられていません。ですからディアーラインがありません。(奈良へ来られた時は、春日の参道と、高畑へ行く森の道とを歩きくらべて、その違いを楽しんでください。)
ところが、危険を察知する能力が過剰になってしまうと、かえって困ったことになるわけです。ほんとうはSさんのような人が気分が悪くなると感じている物質は、何ともない人にも危険なものなのでしょうが、普通は感じないでいられる。そのために現在のような化学物質過剰の生活がなりたっている面があると思います。新築の店の中に入ると、ぷーんと鼻をつく匂いのすることがあるでしょう。たいていの人はその程度で済んでいるんですが、からだの中の化学物質量が一定の限度を超えると、からだがその危険を察知して知らせようとする。そうすると、MCSと呼ばれる状態になってしまうんですね。
さて、私がここで「化学物質」と呼ぶのは、「人工有機化学物質」と言われているものですが、これではあまりにややこしいので、化学物質と簡単に言っておきたい。要するに薬剤・洗剤・農薬・プラスチック・芳香剤・食品添加物などで、化学工業の力で生産されたものの総称です。Sさんはスーパーへ行っても、洗剤や殺虫剤などが置いてあって化学物質の匂いがあると、入った途端に気分が悪くなる。こんな状態ですから、普通の生活ができません。何ともない人は、そんなアホな、と思うかもしれないですが、厳しい現実です。
農薬を撒いてしまった
以前からSさんには、こういう傾向があったので、農薬などには注意していたのに、ある日Sさんのお母さんが庭に除草剤を撒いてしまった。以前から農薬を使わないようにして野菜を育てていたのに、魔が差したのか、お母さんがそういうことをしてしまいました。Sさんにとっては青天の霹靂。私のところへ、どうしたらいいのかと尋ねて来られたけれど、撒いてしまったものはどうしようもありません。せいぜい、水を大量に撒いて洗い流すとか、上から新しい土をかけるとか、活性炭を撒くとか、そのくらいの知恵しかありません。
そんなわけでSさんは、家族がいない時には、暑くても窓を締め切って生活しているといわれます。以前にも同じような訴えがあり、近所で農薬を撒かれて、ご家族全員が調子悪くなり、化学物質のできるだけ少ない田舎に引っ越したという方がありました。この方は今では、かなりよくなってこられた様子です。化学物質を生活からできるだけ遠ざけることが最大の対策になるのでしょう。
振り返って朱鯨亭の状況を見ると、築50年以上は経っている古い家なので、化学物質は比較的少ないと思います。それでも本がたくさんあるので、本に使われている接着剤は避けられませんし、本棚とか、電線とか、粘着テープなど、化学物質を使っている部分がないとはいえません。まことに現代の生活は難しくなっていると言わなければなりません。
整体の立場からみると、化学物質がからだに入ると、からだのどこかが歪む、という問題になると思います。ただ、どういう物質が入ってくれば、どこが歪むのか、ということは分かりません。なにしろ世界でいま使われている化学物質の種類は5万種とか8万種とかといわれています。それが毎年どんどん増えて行く。ですから、こういう人が来られた時は、決まった対応のしかたがありません。からだの歪みを詳細に観察して、それを正してゆくという方法を採るのがいいだろうと考えています。
( 2008. 10 初出 )